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戦国時代

× Sengoku Walker


応仁の乱の頃〜其4

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話が前後してしまいますが、五十子の戦いに参戦していなかった太田道灌は今川家の相続問題の調停に行っていたと書きましたが、どのような問題だったのか?

■今川家の内紛
1476(文明8)年2月、今川義忠は将軍・足利義尚の命により遠江(静岡県)の斯波党を討伐のため出陣。
その帰途を斯波の残党に襲われ討ち死にしたことにより始まる。

遺児の竜王(後の氏親:桶狭間で討ち死にする義元の父)が幼かったため、家臣の間で内紛が起きます。

竜王は一時、母・北川殿(北条早雲の妹)と共に身を隠す。

この内乱鎮圧のために、太田道灌上杉政憲と共に派遣されます。
この二人に北条早雲は甥に当たる竜王を後継者にするべく、太田道灌らを納得させる調停案を進言。筋の通った献策に太田道灌らは賛同し、今川家の内紛は収まります。

この内紛、単なる内紛ではなく、その後の『桶狭間の戦い』や『徳川家康の登場』につながっていくもので、戦国時代の大きなのターニングポイントだったように思います。

「信長」と「ホリエモン」

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■戦国時代番外編

最近、すっかりどのニュースも「ライブドアvsフジテレビ」ばかり。
NHKvsテレビ朝日」は、どこに行ってしまったやら・・・

私は大の信長ファンです。
信長関係の本やテレビ番組等いろいろ見ています。

今のホリエモンこと堀江社長を見ていると、たまに戦国時代の織田信長と重なることがあります。

もちろん「顔」ではなく「やっている事(やり方?)」がです。

信長は尾張の小大名から、あと少しで天下統一が出来たくらいの大人物になりました。

信長のやり方は「古い秩序や体制を打破し新しい時代を切り開こう」というものだったように思います。
そのため、かなり強引なやり方で領地を拡大していき、当時の人々からは理解できないこともかなりやっていたと思います。
そのため「古い体質の人々や勢力」から猛反発を買っていました

今の堀江社長(ライブドア)も、いろいろな会社を吸収合併し、信長が領地をどんどん増やしていった、そんな状況と重なります。

それもかなり強引なやり方で・・・

これも今の時代に生きる、古い考えの人たち(野球にしてもマスコミ・経済界にしても、そして政界にしても)には理解の出来ないことなのかもしれません。

かといって今のライブドアのやり方が正しいのかどうか私には分かりません。

信長は決して戦上手ではありませんでした。
「情報」を活用するのに優れていた人物だったと思います。
だから、負け戦と判断すれば、恥も外聞もなく「家臣を置き去りにしてでも逃げ」ました。引き時を知っていたのです。



私は株のことはまったく分かりません。
だから「ニッポン放送」争奪戦が「負け戦」かどうかは分かりませんが、もう少し冷静になったほうがいいように思います。

信長は最終的に明智光秀の裏切りにより、天下統一の夢目前にして死を迎えます。
しかし、その後、秀吉・家康によって近代日本が生まれます。


堀江社長(ライブドア)がどのような道をたどるのか分かりません。

しかし、ライブドアのサービスを利用している立場からホリエモンには頑張ってほしいと思います。(もちろん何がなんでもニッポン放送をとれという意味ではありません。)


一度引いてみるのもひとつの手では?
まだ、人生は長いです。チャンスはまだまだあるはずです・・・

吉法師、元服

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■1546(天文15)年:信長13歳

古渡城にて元服、三郎信長と名乘る。

信長公記」(太田牛一著)によれば、林秀貞・平手政秀・青山与三衛門・内藤勝介がお供をして古渡城(父・信秀の居城)に行き、盛大な酒宴が行われ祝儀もすごかったそうです。

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武田勝頼誕生。 
前年1545年浅井長政誕生。


※太田牛一:(1527〜1610年)又助、信定のち和泉守。
 信長に仕えた武将。戦場の働きよりは右筆としての活躍が有名。
 「信長公記」は、信長研究には欠かせない信頼できる資料のひとつである。




第一回、小豆坂の合戦

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応仁の乱編はひとやすみです。

■1542(天文11)年:信長9歳
三河国(現在の愛知県)で起こった戦い。

信長の父・織田信秀×今川義元

なんと、織田軍は4千の兵で4万の今川軍を撃破する。

桶狭間の戦いのとき、信長軍2千(5千とも)で今川軍2万5千(4万とも)を破ったときと同じような状況で、さすが織田親子。すごい!
今川義元が弱い??海道一の弓取りといわれていた義元だから弱くはないはず・・・

この年、松平竹千代(後の徳川家康)が岡崎城で生れる。


■太田道灌

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太田道灌1432〜1486年(永享4年〜文明18年)
太田資清の子。名は資長。のちに剃髪して道灌と号した。扇谷上杉定正の執事として仕えたが、その能力が主人をこえていたので、しばしば問題を起こした。そしてこれが原因で、ついに主人定正に暗殺される。軍事家で文学者。江戸城の築城でいまも有名。東京では開発の恩人とし、都庁前や新宿の中央公園に銅像をつくって顕彰している。

下記サイトを参照。
『太田道灌』
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/doukan.html#mokuji
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