其1で応仁の乱が終わったかのような書き方をしてしまいましたが、まだその後も乱は収まっていません。
各地で争いは続いていました。
主だった戦いを数回に分けて書いていきます。

五十子の戦い(いかごのたたかい)
1476(文明8)年〜1477(文明9)年、山内上杉顕定長尾景春との間で争われた戦い。
現在の埼玉県本庄市東五十子にて起こったこの戦い。

長尾氏は山内上杉家の家宰(補佐官)だった。当時、山内上杉顕定の家宰は長尾景春の父・景信であった。しかし、この景信が没したとき、その後継者に景信の弟・忠景を指名する。
これに不満を抱いた長尾景春が反乱を起こす。

三千ほどの兵で五十子の陣を包囲。翌年の正月、これに猛攻を加え攻め落とす。

山内上杉顕定は利根川を越えて上野国那波荘に敗走する。