いよいよ桶狭間の合戦ですが、ちょっと一休み。
前半の山場ですので、夏休みに入ってからじっくり書きたいと思います。

さて、岩倉城攻略で尾張を統一した信長ですが、ご存知の通り、信長は尾張守護代の三奉行の一人だった信秀の息子で本家ではありません。では、織田の宗家筋はその後どうなったのでしょうか?
信賢については不明ですが、信賢に追放された、その父・信安の足跡が残っています。ちなみに信安は、信長と従兄弟の関係になります。

信安は追放された後、京都に隠遁しますが、やがて信長に美濃にてわずかな所領を与えられます。そして、関が原の合戦後、土佐に向かいます。

かつて岩倉の織田信安の家老に山内盛豊という家臣がいました。そうです、来年の大河ドラマ「功名が辻」の主人公・山内一豊の父です。

その一豊が土佐の大名になったことを知り、そのおこぼれに授かろうとしたのかもしれませんね。
一豊もかつての主君が来たとあっては無碍にも扱えず、「勢州様(信安)、御堪忍分」として200石を与え、土佐に住まわせます。そして、この地で信安は亡くなったようです。今も、この地にお墓があります。

土佐以外にも、尾張に孫が建立したといわれる墓があります。
この孫がその後どうなったか残念ながら不明で、現代までその血筋が続いているのかまったくわかりません。
中途半端な結論になってしまいました。スイマセン!

ご存知の方、いらっしゃいましたらぜひ教えてください!


・・・では、いよいよ次回、今川との決戦です。お楽しみに!

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