1563(永禄6)年、信長は清洲から小牧山へ居城を移すことを決めます。

清洲は尾張の中央にあり富裕な土地であり、この地を離れることになると家臣・領民からかなりの反発が出ると予想されました。

そこで信長は策を用います。
まず、二の宮山(愛知県犬山市)という高山に家中の者を同行させ登りました。
そこで突如、「この山に築城する」と言い出し、家臣らに具体的に指示を出します。
後日、再び登り、改めて命令を出しました。

当然ながら、家臣・領民は便利で住み慣れた清洲から不便な山奥に引越しすることに不満を抱きました。

そんな状況の中、1563(永禄6)年になり信長は、二の宮山はやめて小牧山(愛知県小牧市)に築城すると言い出しました。
家臣・領民は、清洲よりは不便であったが、二の宮山よりは便利な小牧山なら良いと、信長の気が変わる前に急げと言わんばかりに喜んで引越しをしました。
人間の心理をついた見事な作戦でした。

小牧山のわずか二十町(約2.2km)先には、敵対する織田信清方の於久地城がありました。於久地城主の中島豊後守は、山の上に城が築かれていく状況を見て守りきれないと判断し、於久地城を明け渡し犬山城の織田信清と合流し立て籠もることになりました。