話が前後してしまいますが、堂洞砦攻略の前年、1564(永禄7)年美濃国で大事件が起きています。
道三・義龍の後を受けて国主になっていた斎藤龍興ですが、政を怠り酒や女に興じる日々を過ごしていました。
このような状況なので、加治田城の佐藤父子も離反して信長に付いたものと思われます。
美濃国内の乱れを案じた安藤守就は龍興を諌めますがまったく聞き入れられませんでした。
そこで守就は娘婿の竹中半兵衛と一計を案じます。
1564(永禄7)2月、当時、稲葉山城に半兵衛の弟がいましたが、その弟が病気になります。その見舞いと称し、半兵衛は武器を隠し持った共の者、十数名を引きつれ場内に入ります。そして、夜を待ち挙兵。驚いた龍興以下家臣らは城外に逃げ出します。
この挙兵とともに、安藤守就も1000の兵を率いて半兵衛に加勢したようで、この後しばらくの間、竹中半兵衛は稲葉山城を占拠します。
この事件を知った信長は、半兵衛に稲葉山城を明け渡せば美濃半国を与えると、話を持ち掛けますが半兵衛は拒絶。逆に龍興に城を返還し、以後自らは隠居してしまいます。この時、竹中半兵衛重治、若干21歳でした。
半兵衛は色白で華奢だったらしく、同僚から馬鹿にされショウベンを引っ掛けられたというエピソードもあり、龍興に対する諫言以外にもこうした不満もこのクーデターに走らせた原因だったかもしれませんね。
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