さて今回は岐阜城内に潜入!内部は資料展示室になっています。岐阜城(稲葉山城)に関係のある史料が充実しています。ただ複製というのも多くて残念なところもありますが、それでも見る価値は十分ありました!

写真撮影OKでうれしかったんですが、ガラスケース内に展示されているため蛍光灯やライトが写り込み見栄えはよくないですがご容赦ください!


二階堂氏肖像画
入場すると真っ先に目に付くのがこの肖像画でしょうか?
誰かと思い近づいてみると、岐阜城の前身・稲葉山城の創建者・二階堂氏でした。下の名前忘れてしまいました。申し訳ありません!







織田信長木像
ご存知、信長公の木像です。しかし、ホント蛍光灯消してください!と言いたくなるくらい光が映りこんでしまっています。こういう場合の対処法はないんでしょうか?



織田信忠
これも有名な信忠公の肖像画ですね。連載中の『織田信長史』でも間もなく家督を継ぎ、岐阜城を与えられます。
まあ、実権は信長が握っていましたけどね〜
父親があまりにも偉大すぎて気の毒な気がしますね。
茶道にはまりすぎて信長に茶道具を没収され、親子喧嘩になったというエピソードがありますが、信長とけんか(といっても殴り合いはしていないと思いますが)する度胸があるとは、信忠もなかなかの男のような気がします。


織田秀信
この肖像画は岐阜・織田氏最後の城主で信長の孫・秀信公です。本能寺の変で難を逃れたものの、その後は政治的に利用されて1610(慶長10)年、高野山で若干26歳で亡くなってしまい悲運の人生でしたね・・・思えば父信忠も26歳で亡くなっていますね。

今回の旅行で秀信にちょっと興味がわいてきてしまいました。
これからいろいろ調べてみようかな〜と思います。



織田秀信所用兜
秀信公所用の兜です。関が原合戦の折、当時16歳だった秀信。初陣で、どの鎧兜を身に着けようか迷っている間に戦況が不利になってしまったというエピソードもありますが、悩んだ挙句選んだのがこの兜なのでしょうか??真偽は不明ですが意外と地味な兜ですね〜






『天下布武』印
ご存知『天下布武』の印章です。稲葉山城を攻略し、岐阜城と改め、この『天下布武』印章を使い始めた信長ですが、この『天下布武』の意味はいろいろと解釈があるようですね。「武力を持って天下を治める」という解釈が一般的なようですが、『布武』とは中国では人の歩き方・姿勢を示す言葉だそうです。これは方針と考えてもいいと思います。そんなことから『天下布武』は信長は「これから天下統一を目指す!」といった目標を掲げたものではないかと個人的には思います。尚、この『天下布武』の印章は少なくとも4種類あるそうです。
写真は残念ながらレプリカです。

竹中半兵衛考案・一の谷兜
これは竹中半兵衛が考案したとされる「一の谷兜」です。他にも日根野弘就考案の兜など多数展示してありました。もちろん鎧やその他馬具や武器等も展示してありましたが、また機会をあらためて写真はアップしていきたいと思います。