織田信忠
1575(天正3)年11月28日、信長は織田家の家督を信忠に譲ります。尾張・美濃の二ヶ国とともに「星切りの太刀」を含めた多くの宝物を譲り、自らは茶の湯の道具のみを持って佐久間信盛の邸に移りました。
この時、信長42歳、信忠19歳
信長が、父・信秀の死によって家督を継いだのは18歳の時ですが、その父が死んだのは42歳でした。

岩村城を攻略し、一人前になったと認めて家督を譲ろうと思ったというよりは、もしかしたら信長は父・信秀が死んだ年齢に自分が達し、自らの死というものを意識し始めたのかもしれません。信長が好んで舞った『敦盛』の一節にも「人間五十年〜」とあるように「自分の命はもう長くはない・・・」そう感じていたのかもしれません。

信長は父の突然の死により、家督を継いだため、その後家中をまとめるのに苦労し、実の弟を含めた一族を多く殺さなくてはいけない過酷な状況になってしまいました。
その様な思いを信忠にさせてはいけない・・・そんな“父・信長”としての親心だったのかもしれません。

ただ、家督は譲ったものの依然、実権は信長が握っている状態で信忠が実際に掌握したのは織田家というよりは、尾張・美濃の二ヶ国のみでした。

そして、居城がない状態になってしまった信長の頭の中には既に次なる居城の構想が出来上がっていました。近江の安土に城を築くという構想が・・・

ついに信長最後の居城・安土築城計画が動き出します。