さて今回、ついに3月のに行った旅行記完結編です。もう2ヶ月も経ってしまったんですね〜。報告遅くなりスイマセン!最後にふさわしく?『京都編』です。
信長公が天下統一の夢と野望を抱いて駆け巡りそしてその生涯を閉じた京都です。


本能寺・正門
長年の夢であった『本能寺』。ようやく行くことができました!意外と街中にあり驚き。
ご存知のように、この本能寺は再建であり場所も本能寺の変があった時と変わっていますが、なんと1415年に建立されてから現在に至るまでに焼失や破却が六度もあり場所も五ヶ所移転していたんですね。知りませんでした。


合祀墓
こちら本能寺の信長公及び共に討ち死にした家臣たちの『合祀墓』です。安土では遠慮してしまい撮影しませんでしたが、この時は後悔しないように撮影。この日はお彼岸でもありお花も供えてきました。



本能寺の変・戦没家臣名
こちらは『合祀墓の脇の立て札』のアップです。この立て札には本能寺の変で信長公を守って奮戦した家臣の名前が記されています。
森蘭丸やその兄弟をはじめ百名ほどの名が記されています。織田信忠の名前も記されているので、本能寺だけではなく二条御所での戦死者も含まれているようです。


信長公所用鎧(複製)
こちら本能寺の敷地内にある『大寶殿宝物館』に展示してある信長公所用の甲冑のレプリカです。
この日は「信長展」と称し信長公所有の茶道具や肖像画・書状等が展示してあったんですが残念ながら撮影禁止。撮影可能だったのがこのレプリカの甲冑のみでした。
小スペースながら展示されていたのは50点近くあり、なかなか見ごたえがありました。
有名な香炉「三足の蛙」見てきました!写真しか見たことがなかったので小さいイメージでしたが意外と大きかったです。
茶道具や刀は実際に信長公が触れたと思うと触ってみたい気がしたんですが当然ながらケースの中・・・残念!


本能寺跡の碑-1
こちらはよく雑誌等で紹介される『本能寺跡の碑』。ここが実際に信長公が最後を迎えた地です。十年ほど前までは小学校でしたが現在は老人福祉施設になっています。

信長公はどのような思い出その最後を迎えたのだろうと想像したら、ここに来た喜びと共に複雑な思いがよぎりました・・・

当時、本能寺は寺というよりは小規模な砦のようになっていたという話もありますが、それにしてもあまりにも率いた家臣が少なすぎましたね。光秀以外にも信長公の命を狙っていたものは多かったはずなのに・・・
信長公の人生最大の不覚でしたね。


本能寺跡の碑-2
こちらも同じく『本能寺跡の碑』です。別の通りに建てられた新しい碑だと思います。
写真では読めませんが、本能寺の創建から本能寺の変にいたるまでの略歴が書かれています。







阿弥陀寺・正門
こちらは信長公の遺骨が埋葬されているという噂のある『阿弥陀寺』です。本能寺の変の時、信長公と親交のあった阿弥陀寺の住職・清玉とその弟子が戦いのさなか、本能寺の敷地に潜り込み信長の家臣から信長公の遺骸を引き取り、その場で火葬し遺骨を阿弥陀寺に運び埋葬したと伝えられています。この清玉という人は変後、再び本能寺へ訪れ弟子と共にその他の遺骨も拾い集め丁重に埋葬したといわれています。真偽のほどは定かではありません。


建勲神社・本殿
こちら信長公が祭神として祀られている『建勲神社』です。ちょっとした小高い丘のひっそりとした雰囲気の場所に建っています。もとは山形・天童藩(信雄の子孫が藩主)に建立されていたものを明治になって京都に移築したそうです。ここには当ブログで最も参考にしている太田牛一自筆の『信長公記』が社宝として所蔵されています。展示スペースとかあるものと思って楽しみにしていたんですが残念ながら特別な時しか見られないようです。


三条大橋
こちらは信長公とは無関係の『三条大橋』です。京都で宿泊したホテルの近くにあったので行ってみました。ホテルから橋に向かう途中、幕末の大事件である『池田屋騒動の碑』がひっそりと立っていました。人通りが多かったので写真は撮りませんでした。幕末ファンの方ゴメンナサイ!

「京・三条大橋」といえば東海道五十三次のスタート地点。ここから東に492.8kmで「江戸・日本橋」にたどり着く。西国の大名が参勤交代のときこの道を何度も往復したんですね。

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※武士童様のご指摘によると『参勤交代の時は、伏見から山科へ抜けたらしいです。理由は、簡単で幕府が他の西国大名と朝廷の癒着を恐れたのです。(長州を除く)』ということでした。
早速調べてみたところご指摘の通り三条大橋は渡っていないと判明しました!記事、間違っていました〜皆様申し訳ありません!
今後も誤った記述に気付かれた方はぜひご指摘ください。よろしくお願いします!
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私は今回の旅で東海道線にて往復。片道7〜8時間位だったと思いますが、当時の人たちは何十日(藩によっては何百日)もかけて往復したと思うと便利な世の中になったな〜と実感します。

これで今回の旅日記は終了ですが、信長公関連の史跡だけでもまだまだ行っていないところが数え切れないくらいあります。出来れば年内に再びチャレンジしたいと思いますがどうなることやら・・・