今回、荒木村重の謀反について取り上げる予定でしたが、その前に信長と荒木村重の関係について触れておきたいと思います。

まず出会いについてですが、謀反を起こす10年前、信長が足利義昭を奉じて上洛した1568(永禄11)年9月のことになります。

当時、荒木村重は、摂津の池田勝正の配下に属し信長と一戦を交えますが、池田勝正はすぐに降伏し、摂津・池田城を任されることになります。このとき村重自身が、信長と顔を合わせることがあったかははっきりしません。

この2年後には池田家に内紛が生じ、池田家の実権を握り、さらに浅井・朝倉・本願寺相手に信長が苦戦し、摂津が手薄になると、この機に乗じて同じく摂津・高槻城を任されていた和田惟政を討ち滅ぼし摂津の大半を領します。

1573(元亀4・天正元)年に将軍・足利義昭と信長が対立すると、村重は細川藤孝と共にいち早く信長へ挨拶に訪れ臣従を誓います

織田配下となった村重は、信長の許しの下、摂津統一を進め、翌年、伊丹城の伊丹忠親を滅ぼし、摂津を平定し本拠を伊丹城に移し、城名を有岡城と名を改めます。

以後、摂津周辺の合戦に従軍し信長に忠勤を励みますが、1578(天正6)年10月、突如謀反を起こすことになります。


ここでひとつ信長と村重の有名なエピソードを紹介しておきます。
とある宴席でのこと、信長は突如、刀で側らにあった餅(饅頭とも)を突き刺します。すると村重の前に歩み寄り、その餅を村重の眼前に突き出します。一同騒然とする中、村重は動ずることなく、刀に突き刺さった餅にかじりつき、餅を食べつくします。
さらに餅で汚れた信長の刀を自分の袖でふき取ると言う徹底振り。
この振る舞いに信長は、大いに感心し、以後村重を厚遇することになります。
村重の豪胆さと信長の奇抜な人物鑑定方法を物語るお話でした。

参考資料⇒樋口晴彦著 『信長の家臣団―「天下布武」を支えた武将34人の記録』『信長の家臣団―「天下布武」を支えた武将34人の記録』あまなつAdhover 信長の家臣団―「天下布武」を支えた武将34人の記録

イメージイラスト⇒秋月まんじゅ様 『秋月草紙』 (餅を喰らう荒木村重です)