今、放送中(関東地方)の『開運!なんでも鑑定団』「桶狭間の戦いに新事実か?今川義元のマルヒ書を茨城で発見」ということで、お宝?が登場するようです。

どのようなものかまったく不明ですが、最近、「桶狭間の合戦は今川軍が略奪中、織田軍がそのドサクサに紛れて義元を襲撃した」なんて新説も飛び出しているようなので、あらたな文書の発見で真相に近づけたらいいのですが・・・

真偽はともかく信長ファンの方は必見かもしれませんよ?

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(追記)

終わっちゃいましたね〜。残念ながら桶狭間の合戦とはまったく無関係でしたが、歴史的には貴重な発見で鑑定額はなんと700万円のお宝でした。

書状は、今川義元直筆で、徳川家康(当時松平元康)が初陣した、三河・寺部城合戦に関するものでした。
あて先は、この合戦の最前線で活躍し、討ち死にした足立甚尉の兄で家康の家臣である足立右馬助
内容としては合戦状況を説明し、「最前線で活躍したものの鉄砲に撃たれて弟の甚尉死んでしまったが見事な忠節である」と弟の活躍を褒め称えるものでした。

寺部城は当時、織田方に寝返っており、三河制圧に乗り出した今川義元が松平元康にその攻略を命じ、初陣ながら見事に勝利した合戦で、永禄元(1558)年、2月から4月頃にかけ合戦が続いていたようですが、その詳細を伝える文書はほとんどなく貴重な発見だったようです。

ちなみに依頼人は、茨城の方で、借金の肩代わりをしてあげた御礼に多くの骨董品を譲られ、その中に今回の文書も入っていたようです。
その借金の主は水戸徳川家にゆかりのある豪商だったそうです。

番組ではこの合戦を二年後に起こる「桶狭間の合戦の前哨戦」とこじつけていましたが、まあ強引に解釈すればそうなりますか・・・・強引すぎじゃ〜!