天正10(1582)年3月29日、信長は諏訪・法花寺にて旧武田領の国割を以下のように発表。

甲斐国(山梨県)・・河尻秀隆。ただし、穴山信君の所領は安堵しているので代替地として信濃・諏訪一郡を与えられます。

駿河国(静岡県)・・徳川家康。

上野国(群馬県)・・滝川一益。一益はさらに信濃の内、小県・佐久も与えられます。

信濃国(長野県)・・高井・水内・更科・埴科の四郡は森長可に与えられ川中島の海津城に入城。木曽義昌は木曽谷の二郡を安堵の上、安曇・筑摩を加増。伊那を毛利秀頼。

河尻秀隆の甲斐移封に伴い空白となった美濃国(岐阜県)岩村には団忠直

同様に森長可の信濃移封に伴い空白となった美濃国の金山(兼山)・米田島には弟の森乱丸(成利・長定とも)。弱冠18歳で5万石の大名になりますが、小姓として信長の側に仕えており二ヵ月後に本能寺の変にて討ち死にしたため領国に入ることはなかったようです。なお岩村に関しては忠直ではなく乱丸に与えられたという説もあるようです。

信長は、この国割と共に甲斐・信濃両国に11か条の国掟を発令。
この中で不当な税徴収の禁止や緒城の修築・武器や兵糧の備蓄、領内の道路整備などを命じています。