天正10(1582)年4月2日、信長は信忠に信濃・諏訪への駐留を命じると自らは予定通り帰国の途につきます。この日は一時的に雨が降るような天気でしたが諏訪を出発。
甲斐(山梨県)を経由し東海道沿いに安土への帰国を計画していた信長一行は甲斐の台ヶ原(大ヶ原:北巨摩郡白洲町、長野県との県境付近)に到着。上野出発前の滝川一益指揮の下、この地には信長一行数百人が宿泊するための宿舎が建設され、食事の用意なども準備が進められており、信長は盛大な接待を受けたようです。

3日、台ヶ原を出発して五町(約550m)進んだところで信長一行は真っ白に雪が積もった美しい富士山を山間から見て、皆が感激したそうです。

この後、信長は新府城の焼け跡を検分。古府(甲府)に入ると、信忠が武田信玄の館跡(躑躅ヶ崎館?)を整備して建設した仮御殿に宿泊。ここに4月10日まで滞在し戦後処理を進めることになります。

この間、丹羽長秀・堀秀政・多賀常則の三人は信長から休暇を与えられ、草津(群馬県・草津町)に湯治に出掛けるという、珍しくのんびりとした時を過ごします。


余談ですが、この草津温泉には、のちに近衛前久(龍山)や秀吉の妹で家康の正室となる朝日姫さらに本願寺の顕如や教如・佐起、豊臣秀次や大谷吉継や前田利家らが訪れており、古くは鎌倉幕府の創始者・源頼朝も訪れたそうです。

※参照⇒草津温泉公式サイト 『湯Love草津』> 訪れている著名人