【天皇:後土御門(103代)、将軍:足利義政(8代)】


3月21日、西軍主力の山名持豊(宗全)や畠山義就・大内政弘・斯波義廉らが京・伏見の稲荷山を攻める。稲荷山に拠る東軍・細川勝元の足軽大将で盗賊集団の首領・骨皮道賢が朝倉孝景(宗滴の父)に討たれる。

4月、将軍・義政、伊勢に逃れていた弟・義視を京に呼び戻す。

5月2日、東軍・細川成之が尾張・越前・遠江の守護を兼ねる西軍・斯波義廉邸を襲撃。

7月15日(10日?)、斯波義廉は管領を罷免され代りに細川勝元が就任。

9月4日、東軍、仁和寺の西軍を攻撃。


9月22日、義視が諫書を将軍・義政に提出。日野勝光らの排除を訴えるも受け入れられず対立が深まる。

11月、幕府内で孤立した状況になった義視に勝元は出家を勧め比叡山にのぼらせる。

11月24日、義視が西軍・山名陣営に取り込まれる。西軍、洛外山科を攻撃。

12月5日、義視の官位剥奪。

12月19日、近江にある義視の所領没収。



【この年の他の出来事】


【生】
明智光継(5月20日)
宇都宮成綱
北畠材親
島津運久

【没】
骨皮道賢:盗賊集団の首領。東軍・細川勝元の足軽大将(3月21日、享年?)

京極勝秀:守護大名・京極持清の長男。西軍・山名氏に属す。(7月6日、享年37?)

小鴨之基:伯耆の武将。備前守護代。船岡山の戦い(後の永正の船岡山の戦いとは別)で討ち死(9月7日、享年?)

陶弘房:大内氏の重臣。陶盛政の次男。京都相国寺の戦いで討死(11月14日、享年20歳前後)

相良長続:相良氏の第11代当主。東軍・細川氏に属し、病没(享年58)

少弐教頼:少弐氏当主。少弐満貞の子。東軍に属し、九州にて大内軍と戦い敗北。筑前の高祖城において自刃(享年?)



【織田信長誕生まであと66年】


※主に戦国150年ニュース―戦国時代をフォーカス! (別冊歴史読本 (23))を引用・参考にさせていただいています。