【天皇:後土御門(103代)、将軍:足利義尚(9代)】

1月11日、大内政弘、山城の寺社領返還。

1月18日、【越前】朝倉孝景、越前にて甲斐八郎の杣山城攻略。

4月3日、山名政豊と細川政元が和睦。しかし、和睦反対派の東西諸将の小競り合いはなお続く。

4月23日、山名政豊軍と畠山義就軍の足軽同士が小規模な合戦を交える。西軍内部対立が表面化。

閏5月5日、畠山義就、日野勝光を通じ東軍との講和と京への帰参を図る。

6月、【越前】美濃守護代・斎藤妙椿、越前へ赴き、朝倉孝景と甲斐八郎を和解させる。

6月26日、山名政豊ら西軍諸将が新将軍義尚と対面。西軍は義尚の叔父・義視を将軍後継に推していたがその方針転換を名実ともに天下に示す。西軍主力の大内政弘や畠山義就・土岐成頼らが反発。

7月、【加賀】越前に逃れていた富樫政親が蓮如の命を受けた本願寺派門徒を率い加賀の侵攻。

7月6日、山名政豊、山城守護に任じられる。

7月26日、大内政弘や畠山義就・土岐成頼ら西軍の諸将が上京・北野に放火。西軍総帥・山名政豊がこの鎮圧に動く。

9月20日、【九州】東軍方の菊池重朝や大友親繁が北九州の大内領への侵攻を画策。この動きを知った大内政弘は本国に帰国するため日野勝光を通じ、将軍・義尚や山名政豊らとの和睦を求める。

11月1日、【加賀】加賀一向一揆蜂起。西軍に属する富樫幸千代が高田派門徒と手を組み、東軍に属する兄の富樫政親を攻撃。政親は本願寺派門徒に援軍要請。この合戦で、幸千代方の守護代小杉某が討死。この後、政親、加賀守護に返り咲く。


【その他の出来事】
2月16日、一休宗純、大徳寺住持となる。



【生】
富樫稙泰?:加賀守護。富樫家16代当主。


【没】
土岐持益:美濃国守護。
島津立久:島津氏第10代当主。応仁・文明の乱では名目上東軍に所属。
今川貞延:遠江守護今川氏6代目当主。


【織田信長誕生まであと60年】



※主に戦国150年ニュース―戦国時代をフォーカス! (別冊歴史読本 (23))を引用・参考にさせていただいています。