こちら関東、例年より早い梅雨明けで夏真っ盛り・・・と思いきやここ数日はっきりしない天気。そんな中、いよいよ天文ファン以外も楽しみにしている今月22日の皆既日食が明後日に迫ってきましたね〜。最新の天気予報を見ると天気は全国的に悪い感じ、何とか晴れてもらいたいものです。

さて以前このブログで「戦国時代と月食」というテーマでちょっと下ネタ系の記事を書いてしまいましたが、今回は“ちゃんとした”「戦国時代の皆既日食」について書きたいと思います。

部分日食は数年に一度といった頻度で見ることが出来るようですが、皆既日食となると数十年に一度といった感じでなかなか見ることが出来ないようですね。今回も皆既日食が確認できるのは屋久島やトカラ列島そして奄美大島や種子島の一部のみで他の地域は部分日食のようですね。

ここから本題。今回調べたのは戦国時代(その時代区分はいろいろありますが、最大と考えられる1467〜1615年で調査)の京都と江戸の皆既日食。

利用させていただいたサイトは、過去とこれからの日食年月日がわかる『日食データべース』様。
このサイトの製作者の方に感謝!ということで、調べた結果以下のように。

(京都)
西暦1524年7月31日(※大永4年6月20日)と西暦1553年1月14日(※天文21年12月20日)
  

(江戸)
西暦1460年7月18日(※長禄4年6月21日、今回の調査範囲外ですが・・・)と西暦1524年7月31日(※大永4年6月20日。この日は京都と同じなので全国的に見ることが出来たのでしょうか?)

※データベースの日付はグレゴリオ暦で表記されていると思うので歴の変換サイト『換歴』様のツールを利用させていただき、和歴に変換してみました。日付がもし間違っていたらぜひお知らせください!


この皆既日食のあった日、戦国日本で何があったのか!?公家などの日記には何が書かれているのか?!
頑張って調べましたが残念ながら何も見つからず・・・ということでグダグダの結論になってしまい申し訳ありません。何か情報をお持ちの方ぜひコメントお願いします!

唯一発見できたのは戦国時代とは無関係ながら戦乱の日本での出来事。
1183年11月17日
平家物語や源平盛衰記に記されている水島の合戦のさなかに起こった日食。食分は95%程度とされる。天文博士を擁する朝廷側の平家はこの日、日食が起こることを知っていて、太陽が欠けていくことに恐れ混乱する木曽源氏に対して戦いを有利に進め、平家が勝利した。以下は、源平盛衰記の記述。(ウィキペディアより一部抜粋)


最後に、日食を観測する際は、黒い下敷き等は失明する恐れがあり大変危険だそうです。専用のサングラスを使用するか、鏡などを使用しての間接的な観察などがいいそうです。詳しくは「国立天文台」2009年7月22日 皆既日食の情報をご覧ください。