【天皇:後土御門(103代)、将軍:足利義尚(9代)】

1月1日、乱のぼっ発以降途絶えていた朝廷儀式が再開される。この日は、京都御所・清涼殿の前庭で、四方を拝し一年の無病息災と豊作を祈る行事、四方拝の儀式が行われる。

2月19日、将軍・足利義尚、越前の甲斐八郎と対面。八郎は遠江守護代に任じられ、斯波義良と共に遠江に下向。

3月下旬、【加賀】冨樫政親に対し一向一揆衆が蜂起。

5月14日、東軍・成身院順宣らと西軍・越智家栄らが春日社で戦い東軍が勝利。山城の木津・天神河原では大和の筒井舜覚(順尊)と大内政弘が戦い、大内方の陶遠江守らが討ち取られる。

6月、【加賀】一向一揆がふたたび蜂起。

8月21日、【越前】本願寺中興の祖と言われる連如、加賀などでの一向一揆の拡大による戦乱を避けるため越前・吉崎御坊を離れる。のち小浜、丹波、摂津などを経て河内・出口に入る。

8月28日、幕府、遺明船を派遣。明に銅銭・書簡を求める。

10月、【安芸】徳政一揆蜂起。幕府、大内・毛利両氏に鎮圧を命じる。毛利豊元の活躍で一揆は鎮圧。同じ頃、大内氏の居城・鏡山城を包囲していた東軍も毛利軍が打ち破る。

10月、【近江】幕命、延暦寺に六角高頼討伐を命じる。六角氏本拠・観音寺城下延暦寺僧兵と六角軍が戦い延暦寺方が勝利。

11月【近江】六角高頼、西軍・美濃の土岐成頼や斎藤妙椿らの援軍を得て反撃。幕府軍を破る。

11月18日、【尾張】斯波義廉、・上四郡守護代織田敏広(西軍)に擁立されて尾張へ入国。東軍に属する下四郡守護代・織田敏定を破る。


【その他の出来事】
5月24日、京都で、この日から3日間、大雨。洪水の被害がある。

8月6日、京で、暴風雨。和泉や摂津の沿岸で津波が発生し、多くの犠牲者がでる。


【生】
天野興定:天野興次の子。安芸国の国人・天野氏当主。

一条房家:土佐国司。土佐一条氏の第2代当主。関白一条教房の次男。

宇都宮興綱:下野・宇都宮氏第19代当主。

木曾義元:木曾家豊の子。信濃木曾氏の当主

清原宣賢:公卿。吉田神社詞官神道家・吉田兼倶の三男。清原家養子。細川藤孝の祖父。

陶興房:大内氏の重臣。陶弘護の子で晴賢の父。周防守護代。

宗晴康:対馬の守護。宗氏の第16代当主。

畠山尚順:尾張守。畠山政長の子。紀伊・河内・越中の守護。



【没】
長尾定景 (足利長尾氏)文明7年2月6日内上杉家の家臣である足利長尾氏の第2代当主。


【織田信長誕生まであと59年】



※主に戦国150年ニュース―戦国時代をフォーカス! (別冊歴史読本 (23))を引用・参考にさせていただいています。