こんな発見がまだあるんですね!
天正16(1588)年4月14日、後陽成天皇が秀吉の居城(邸宅)聚楽第に行幸した時を描いた屏風が発見されたそうです。対となる秀吉が御所に向かう時の状況を描いた屏風も一緒に発見され、謎の多い聚楽第の研究が前進しそうです。

聚楽第は天正15(1587)年に完成した秀吉の邸宅兼政務を行う平城のような作。甥の秀次に関白職を譲った際、聚楽第も譲りますが、文禄4(1595)年、秀次謀反の疑いで切腹したのち聚楽第も解体。わずか8年ほどしか存在していなかったため資料が少なく謎が多い城でした。
今回、発見された屏風以外にも聚楽第を描いたとされる屏風がありますが、そこには天守閣が描かれており、その有無も議論されているのが現状。

今回発見された屏風の聚楽第を出る秀吉の図が描かれた屏風をみると写真が小さいためわかりづらいですが、左上に天守閣らしき建物も確認できるので、謎が一つ解決するかもしれませんね(もう解決した?)。

こういう発見があると信長ファンとしては期待してしまうのが、「安土城を描いた屏風」の発見。天正遣欧使節がローマ法王グレゴリオ13世に贈ったとされる屏風捜索プロジェクトが現在どうなっているかわかりませんが、ぜひ発見してもらいたいものです。また安土城を描いた絵図がその屏風だけとは限らないので、何か他の絵でもいいから見つかってほしいな〜と期待してしまいます。

さて、話し戻して今回発見の聚楽第の屏風、なんと早くも明日12日から10月4日まで新潟県の上越市立総合博物館で公開するそうです。見に行かれた方、ぜひ天守の有無、確認してみてください!

ニュース詳細 ⇒ 秀吉の栄華描いた屏風見つかる 聚楽第行幸を忠実に (asahi.com)


上越市立総合博物館 新発見資料「御所参内・聚楽第行幸図屏風」特別公開 【期間:2009年9月12日(土)〜10月4日(日)】