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さて、成人式といえば戦国時代でいうところの元服になりますが、その元服の儀式が日本で行われるようになったのは奈良時代(約1300年前)の頃。元服の「元」は首(頭)、「服」は着用を意味し、頭に冠をかぶせることから「首服」や「冠礼」とも言われ13歳から15歳または18歳くらいまでに行われていました。現代の中学生から高校生くらいになりますね。例外もあり、早ければ6~8歳、遅ければ20歳過ぎといったこともあったようです。中世以降の武家では15歳ごろに元服し幼名から改名。その際、烏帽子親(烏帽子をかぶせる親代わり)の諱の一字をもらうことも多かったようです。

戦国時代に注目すると、織田信長が13歳で元服、幼名の吉法師から三郎信長に改名。先祖代々の諱の一字“信”を使います。徳川家康は今川義元の人質となっていた14歳頃、松平竹千代から元信に改名。義元の諱の一字“元”をもらっています。ちなみに翌年、元信から祖父の一字をとり元康と名乗ります。
長宗我部元親の嫡男・千雄丸は、11歳の時、信長を烏帽子親とし元服。信長の諱の一字“信”をもらい信親と名乗ります。

また、元服時の悲話として伝わっているのが、武田勝頼の嫡男・武王丸(信勝)。
天正10(1582)年、武王丸は16歳でしたがまだ元服の儀式が行われていませんでした。織田・徳川との戦いが激しさを増す中のことで儀式を行う余裕がなかったのかもしれません。そんな中、3月、織田・徳川連合軍が遂に武田討伐のため本格的に攻め込んできます。勝頼は次々と家臣に裏切られ、つき従った家臣も各地で多くが討ち死に。命運尽きたことを悟った勝頼は嫡男・武王丸がまだ元服の儀式をしていないことを不憫に思い戦乱の中、儀式を行います。武王丸は太郎信勝と名乗り織田軍とたたかいますが間もなく自刃して果てます。
ただ、この話ですが、元服自体はすでに天正7(1579)年に行われており、「環甲の礼」(武田家の嫡子が元服の際に甲斐源氏の「楯無鎧」を身につけ、世継ぎであることを公表する儀式)が、この時行われたという話もあるようです。


【主な戦国武将の元服年齢】
・武田信玄:16歳。天文5(1536)年に元服。勝千代から晴信。

・上杉謙信:14歳。天文12(1543)年に元服。虎千代から長尾景虎。

・浅井長政:15歳。永禄2(1559)年に元服。猿夜叉丸から当時、主筋の六角義賢の一字をとって賢政と名乗る。

・伊達政宗:11歳。天正5(1577)年に元服。梵天丸から政宗に。余談ですが政宗は15代将軍足利義昭から「昭」一字をもらい「昭宗」と名乗る予定もあったようですが、義昭は京から追放され備後に下向中だったため実現しなかったともいわれています。

・蒲生氏郷:14歳。永禄12(1569)年、信長に人質として預けられ、小姓として仕えていた時に元服。鶴千代から忠三郎賦秀。「忠」は弾正忠の一字。

・佐竹義宣:13歳。天正10(1582)年に元服。徳寿丸から義宣。

・島津義弘:11歳。天文15(1546)年に元服。又四郎から忠平。

・真田信繁(幸村)は19歳になっても幼名の弁丸と書かれている史料があり、元服していなかった可能性もあるようです。※20代前半で元服か??

・長宗我部元親も元服の年齢は不明。戦国時代、元服した直後または翌年に初陣というパターンが一般的だったと思われるので、元親の初陣が22歳と遅いことを考えると元服もかなり遅かったのか??


【参考書籍】
『歴史読本』(1997年11月号「初見参!戦国武将の初陣」:新人物往来社)
『戦国武将ものしり事典』(奈良本辰也監修 主婦と生活社)
『日本人のしきたり』(板倉晴武編著 青春出版社)