hooonnji-kakejiku-3「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」  ・・・織田信長
「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ホトトギス」 ・・・豊臣秀吉
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」 ・・・徳川家康


三英傑の性格を例える有名なホトトギスの句ですね。
さて、今回は本当に?鳴かれてしまい困ってしまった信長と秀吉のエピソードを紹介します。

【信 長】
ある時、信長は、堺の妙國寺に宿泊します。この寺には当時としては珍しい南国から輸入された大きな「ソテツ」が植えられていました。その珍しい「ソテツ」を見た信長は、安土城に強引に植え替えさせます。しかし植え替えられた蘇鉄は毎夜「堺に帰りたい」と鳴いたそうです。信長は不気味に思ったのでしょうか、家臣に切り倒すよう命じます。家臣が命令に従い切り倒そうとすると切り口から血のような液体が噴き出し、「ソテツ」が蛇のようにクネクネともだえはじめます。この光景に切り倒すことを断念した信長は、「ソテツ」を妙國寺に返したそうです。度重なる移植や切り傷で枯れそうになった「ソテツ」は、妙國寺の日Ь綽佑読経したところ回復し、このとき「蘇鉄」という名がついたそうです。この逸話は、江戸中期に書かれた『絵本太閤記』や江戸後期の『英傑三国誌伝』に載せられているそうです。

余談ですが、妙國寺の開基は三好之康(義賢・実休)で、永禄5(1562)年、開山の日Ь綽佑忙の敷地を寄進し創建されましたが、この時すでに「大蘇鉄」が植えられていたようです。ちなみに蘇鉄の樹齢は現在1100年を超えているそうです。信長の時代、既に樹齢600年を超えていたことになりますね。


【秀 吉】
ある時、豊臣秀吉は、やはり強引にでしょうか?報恩寺の寺宝である中国の画人四明陶佾(しめいとういつ)が描いた「虎の絵の掛け軸」を聚楽第に持ち帰ります。しかし、一晩中、虎が吠えて秀吉は眠れずに困り果て、寺に返したそうです。その逸話があったためでしょうか?それとも元々だったのかわかりませんが、掛け軸には『鳴虎図』という名がつけられています。この逸話の出典を調べてみましたが残念ながら確認できませんでした。

余談ですが、このお寺は黒田官兵衛の嫡男(と言わなくてもわかると思いますが・・)黒田長政が亡くなった時の部屋もあるそうです。

※画像は報恩寺所蔵 『鳴虎図』。この絵は通常、12年に一度、寅年の正月三が日に限り公開されるそうですが、特別に来月11月2日から11日まで報恩寺(京都市上京区)で一般公開されるそうです。
【注意】決して自宅に持ち帰って鳴くかどうか試さないでください(笑


信長と秀吉、似たような逸話があるんですね。家康にも同様の逸話があるんでしょうか?ご存じの方がいたらぜひ教えてください!では、最後に一句

「蘇鉄・虎 鳴かれて困る のぶとひで」

そのまんま・・・しょうもない句でしたね。失礼しました!


【参 考】
大坂日日新聞 大阪ロマン紀行 :信長も恐れた蘇鉄の勇姿   案内人・亀井澄夫氏

西日本新聞記事 「鳴虎図」、京都・報恩寺で公開 持ち帰った秀吉、鳴き声に参る?(2012.10.26)