今年は伊勢宗瑞(北条早雲)により玉縄城が築城されてから500年という記念の年。玉縄城跡周辺では10月からいろいろなイベントが開催されていますが、今日11月4日は歴代玉縄城主を偲ぶ法要会が玉縄北条氏の菩提寺である龍寶寺(竜宝寺)で行われました。

戦国ウォーカーでいろいろなイベントを紹介しているのに、自分自身は殆どどこも行けていない状況で残念な思いをしていますが、今回は地元玉縄北条氏の法要ということで行ってきました。

今日は見事な快晴。朝は気温が低く、風が吹くとやや寒い感じでしたが、ちょっと厚手の上着を着て気合を入れて出発です!
ryuhouji-mon今回、法要が行われた龍寶寺の山門。JR大船駅からだと徒歩20分程でしょうか。早めに到着したので人はまばらな感じでした。管理人、実はここへ来るのは2回目ですが以前訪れた際は玉縄北条氏の菩提寺と知らず、この門の写真を撮っただけで中へは入っていませんでした。地元なのに不覚!
ちなみにこの龍寶寺は1951年に山門と鐘楼以外、残念ながら全焼してしまったそうです。この茅葺の山門も創建時のものではありませんが、元禄年間の頃に建てられたそうなので歴史あるものといえますね。

tamanawa-houjo-hata現在は築城500年祭ということで「玉縄城」の旗の他に歴代城主6代と北条氏の祖・早雲の旗が並んでいます。右側の赤い旗に早雲の名が書かれていますが、特別に金色で仕上げ強調するつもりが逆に名前が目だたなくなってしまうという残念な結果に・・・
ちなみに歴代城主は、初代・氏時、二代・為昌、三代・綱成、四代・氏繁、五代・氏舜、六代・氏勝が務め、北条氏滅亡後は本多正信松平氏が城主となっています。尚、豊臣秀吉による小田原攻めの際、伊豆国山中城を脱出し玉縄城に籠城していた北条氏勝は龍寶寺の住職の説得を受け入れ降服し、その後、徳川家康に仕え下総岩富1万石の領主となっています。

tamanawa-kattyutai玉縄おもてなし武将隊?”に遭遇!・・・といってもお一人ですが。まさか甲冑武者がいるとは思わなかったので、嬉しさのあまり写真を撮らせていただきました。ホントは旗指物をする予定が忘れてしまったようです。おそらく北条家の家紋入りの旗指物だったんでしょうね・・・。「こんな汚い顔でゴメンなさいね」と恐縮していましたが、いや十分かっこいいです!ちなみに”玉縄おもてなし武将隊”は存在しません
余談ですが、後ろに写っているのは桜の木なんですが、なぜか少しですが花が咲いていました。今の時期咲く品種なんでしょうか?

ryuhouji-zenkei法要が行われる頃にはかなりの人が集まっていました。近所の方と思われる小さいお子様連れのご家族や歴女と思われるようなグループの方もちらほら。鎌倉ではどうしても源頼朝や義経が注目され後北条氏の影は薄いですが、結構人が集まっていたので戦国好きの管理人としてはうれしい限りです。信長ファンの管理人ですが今回の500年祭を機にもう少し地元の北条氏についても調べるようにしてみたいと思います。

ryuhouji-hondo龍寶寺本堂玉縄北条氏の菩提寺で、1503年に北条綱成が「香花院」(綱成の戒名から瑞光院とも)を建立したのが始まりということです。今の場所とは別の場所に建てられていましたが、氏勝が1575年に現在の地に移し、父・氏繁の戒名である龍寶寺殿応栄公大居士から寺名を「龍寳寺」と改めたそうです。


ryuhouji-kuyoutou本堂の左手にある玉縄北条氏供養塔。なんとなく新しい気もするんですが、築城500年祭を機に建てられたんでしょうか?入れ替わり立ち替わり、管理人も含めこちらの写真を撮る人が次々と。目立たない場所にあるのにみんなよく見つけるな〜と思いつつ自分も発見したわけですが、みんなやはり戦国ファンの勘が働くんでしょうか(笑

北条氏とは関連がありませんが、今回法要が行われた龍寶寺は、江戸時代、新井白石が近隣に所領を与えられたことから、白石が寺に200石を寄進したそうで、その縁により寺内に新井白石の碑もあります。ほかにも国の重要文化財となっている旧石井家の住宅があり、その石井家で使われていた家具や農具を展示している玉縄民俗資料館も併設されています。

実は早めに出かけたので法要までに時間があったので、玉縄城跡まで行ってきましたが、残念な結果に・・・。そのお話はまた次回にしたいと思います。寒いと思い厚着をして出かけたのですが、家に着く頃には背中が汗でびっしょり。やはり山城を攻めるのは大変ですな〜。