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戦国時代

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信長逸話集

鳴かれて困る信長と秀吉

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hooonnji-kakejiku-3「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」  ・・・織田信長
「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ホトトギス」 ・・・豊臣秀吉
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」 ・・・徳川家康


三英傑の性格を例える有名なホトトギスの句ですね。
さて、今回は本当に?鳴かれてしまい困ってしまった信長と秀吉のエピソードを紹介します。

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「信長馬繋ぎのマツ」が病気だそうな・・・

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信長が気に入りたびたび愛馬を繋いだとされるクロマツ通称「信長馬繋ぎのマツ」が病気になっていたようです。
この松は東近江市甲津畑町の速水家の庭木だそうですが、速水家の御先祖は信長が近江入りした際、その警護役を務めていたとか。

織田家中の「速水」で思いつくのは浅井氏滅亡後、秀吉に仕え、大坂城落城の際、秀頼の介錯を務めた速水守久ですが、そのご子孫なんでしょうか?

代々、大事に手入れしてきた松の樹齢はなんと500歳。信長が存命中すでに60年位生きていたということになるんでしょうか?(計算あっとるのか?)

松の寿命は、調べてみると500〜1000年、あるいは700〜800年というデータもあるようですが、治療をすればあと数百年は元気でいられると思われます。

昨日(10日)、滋賀県緑化推進会の樹木医5名や治療研修に参加してくれた30名ほどの方々が、土壌改良などをしてくださったようで、信長ファンとしては非常ありがたい思いです。

速水さんも記事の中で「大変ありがたい。信長にまつわる木だけに、この名木を次世代に残し、近江の歴史を見学者に語り継ぎたい」とおっしゃっておられたようですが、今回の治療がうまくいって「信長馬繋ぎのマツ」が復活することを願っています!


【詳細記事】
読売新聞:12月11日掲載「信長馬繋ぎのマツ病気」

【参考サイト】
『近江の城郭』− 「信長の馬つなぎの松」

信長と干し柿 〜『戦国武将のゴシップ記事』より〜

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最近、新型インフルエンザの感染が日本でも急速に広まっていますが、皆さん大丈夫でしょうか?管理人の住む神奈川でも感染者が出て、あまり他人事ではない気がしています。
この週末もあまり外出しないで家で過ごされる方も多いと思いますが、そんな方におススメの戦国本をご紹介。

今月発売だったんでしょうか?鈴木眞哉氏の著書 『戦国武将のゴシップ記事 』(PHP新書)

鈴木氏の著書といえば通説を再検証して論じるパターンが多いと思いますが、今回は少しパターンが違っていろいろな戦国武将のエピソード集といった感じの内容になっています。※いつものように?疑問を呈されている部分もありますが・・・

登場する武将は、信長や秀吉・家康そして信玄や謙信・三成・幸村などはもちろんですが、細川勝元や畠山尚順・九鬼広隆・里見氏など他にも多数、普段あまり取り上げられないような武将が登場。それぞれのエピソードが2〜4ページにまとまられていて結構読みやすいです。

そんな中からこの記事のタイトルにした『信長と干し柿』に関するエピソードを一つご紹介。

信長の家臣に水軍に所属する真鍋貞友という武将がいましたが、天正4年の毛利水軍との木津川河口の合戦で討ち死。その子・貞成(当時9歳)が信長に拝謁した時の話。

信長は干し柿が好物だったそうですが、床にたくさんの干し柿が置いてあったので取次役の堀秀政に干し柿を貞成に与えるよう命じます。秀政は最初、二つだけ持ってきますが、信長は「もっと持ってこい」と命じます。秀政、今度は12、3個持ってきたので貞成は袴の裾を広げてそれを受け取ったそうで、それを見ていた信長は大変機嫌がよかったそうです。


冷酷非道な面が強調される信長ですが、親を亡くして落ち込んでいる貞成を励まそうとしたのかわかりませんが、干し柿をたくさんもらって貞成もきっと大喜びしたと思います。その姿を見て微笑む信長を思い浮かべると信長のイメージもだいぶ変わるような気がしますね。

あっそういえば以前、『信長好感度アップ大作戦』という企画をやっていたのをすっかり忘れていました(汗
ということで、今回のエピソードを『信長好感度アップ大作戦』第四弾にさせてもらいます(笑
ちなみに1〜3は【信長逸話集】をご覧ください。

しかし、管理人、信長関係の逸話はだいたい知っているつもりでいましたが、まだまだ知らないことがたくさんあるようです・・・


今回初回の書籍 ⇒『戦国武将のゴシップ記事』(鈴木眞哉著・PHP新書)

信長と金平糖

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最近、仕事が急激に忙しくなり(相変わらず波の激しい会社だ・・)更新滞っています。申し訳ありません!

さて、前回の記事でも少し触れましたが信長は宣教師のヴァリニャーノが連れてきた黒人男性を大変気に入り召抱えましたが、このときに限らず、信長は宣教師に出会ったことで、西洋の知識や多くの珍しいものを得ました。

地球儀を見せられ信長は地球が丸いことを理解したとも言われ、無神論者のように言われますが、キリスト教を否定することなく布教を許可し、南蛮のファッションが珍しいというだけでなく、機能的だということで好んで着用するなど、南蛮文化に寛容的な信長でした。

そして、信長が生きた戦国時代、(時期は前後しますが)カステラやビスケット・ボーロなど西洋の食べ物もいろいろ日本にやってきました。その中のひとつが「金平糖」。

ポルトガル人宣教師・ルイス=フロイスの記録によれば、信長が足利義昭を奉じて上洛した翌年、永禄12(1569)年4月、義昭のために急ピッチで二条城を建設している頃、信長に謁見したフロイスがロウソクなどと共にガラス瓶に入った金平糖を献上します。信長はこの珍しい食べ物を大変喜んだとも言われています。

ちなみに金平糖とは砂糖を使った菓子を意味するポルトガル語のコンフェイトスまたはコンフェットが語源だといわれています。当時の金平糖は現在よく目にするような星というかウニといったほうが近いでしょうか?そのような突起ははなかったと考えられているようです。

しかし、なぜ今回、唐突に金平糖の話題なのか?実は和菓子で有名な『とらや』が「歴史上の人物と和菓子」と題して、2007年11月1日から11月30日まで特別展を企画しているという情報を入手したためです。とらやさんのHP上でも和菓子と歴史上の人物の逸話が多数紹介されています。

ちなみに「織田信長と金平糖」の話も掲載されていますが、その他に「徳川家康と嘉祥」「明智光秀と粽」「千利休とふの焼」「徳川吉宗と安倍川餅」「井伊直弼と千歳鮨」「徳川綱吉と麻地飴」「徳川慶喜と引き菓子」等々話題満載。興味のある方は除いてみてはいかがでしょうか?

詳細⇒とらや菓子資料室『歴史上の人物と和菓子』

信長と荒木村重

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今回、荒木村重の謀反について取り上げる予定でしたが、その前に信長と荒木村重の関係について触れておきたいと思います。

まず出会いについてですが、謀反を起こす10年前、信長が足利義昭を奉じて上洛した1568(永禄11)年9月のことになります。

当時、荒木村重は、摂津の池田勝正の配下に属し信長と一戦を交えますが、池田勝正はすぐに降伏し、摂津・池田城を任されることになります。このとき村重自身が、信長と顔を合わせることがあったかははっきりしません。

この2年後には池田家に内紛が生じ、池田家の実権を握り、さらに浅井・朝倉・本願寺相手に信長が苦戦し、摂津が手薄になると、この機に乗じて同じく摂津・高槻城を任されていた和田惟政を討ち滅ぼし摂津の大半を領します。

1573(元亀4・天正元)年に将軍・足利義昭と信長が対立すると、村重は細川藤孝と共にいち早く信長へ挨拶に訪れ臣従を誓います

織田配下となった村重は、信長の許しの下、摂津統一を進め、翌年、伊丹城の伊丹忠親を滅ぼし、摂津を平定し本拠を伊丹城に移し、城名を有岡城と名を改めます。

以後、摂津周辺の合戦に従軍し信長に忠勤を励みますが、1578(天正6)年10月、突如謀反を起こすことになります。


ここでひとつ信長と村重の有名なエピソードを紹介しておきます。
とある宴席でのこと、信長は突如、刀で側らにあった餅(饅頭とも)を突き刺します。すると村重の前に歩み寄り、その餅を村重の眼前に突き出します。一同騒然とする中、村重は動ずることなく、刀に突き刺さった餅にかじりつき、餅を食べつくします。
さらに餅で汚れた信長の刀を自分の袖でふき取ると言う徹底振り。
この振る舞いに信長は、大いに感心し、以後村重を厚遇することになります。
村重の豪胆さと信長の奇抜な人物鑑定方法を物語るお話でした。

参考資料⇒樋口晴彦著 『信長の家臣団―「天下布武」を支えた武将34人の記録』『信長の家臣団―「天下布武」を支えた武将34人の記録』あまなつAdhover 信長の家臣団―「天下布武」を支えた武将34人の記録

イメージイラスト⇒秋月まんじゅ様 『秋月草紙』 (餅を喰らう荒木村重です)

信長と“おね”

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“おね”への手紙


さて、今回お送りする『信長好感度アップ大作戦』第三弾は有名な“あの”手紙です。

時は天正年間のはなしと思われ、浅井氏滅亡後、秀吉が長浜城主を勤めていた頃のことのようです。
おね(ねね)が多くの土産を携え安土の信長のもとへ久しぶりに挨拶に行き夫・秀吉の愚痴を信長に漏らしたようです。話を聞いた信長は後日、土産への礼状としておねへ宛て手紙を送ります。ちなみにこの手紙は現存しています。

どうやらこの頃秀吉は、多くの側室を持つようになっていたようです。おねはそれが不満で信長に愚痴をこぼしたようです。

信長は手紙の中で次のようなことを書いています。(要約)

そなたは以前よりはるかにきれいになった。そんな女房をもちながら不満を持つとはけしからんやつじゃ!あの“禿げネズミ”(秀吉のこと)がそなたのような女房と二度と出会うことはないのだから、今後は気持ちを明るく、(正室として)どっしり構え、嫉妬心など抱いてはいかん。

しかし、夫の面倒を見るのも女房の役目なのだからいいたいことも少々我慢するように。
なお、秀吉には意見しておくから安心しなさい。
おねが読みやすいようにひらがなを多く使い、おねを気遣いつつ正室としての心構えを解き、信長の人情味の一端が垣間見える手紙だと思います。

信長と“山中の猿”

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さていよいよ明日、“あの”ベストセラーで小泉前首相も愛読していたという『信長の棺』のドラマが放送されますが、どのような出来か今から楽しみにしている織田創です。
主人公は松本幸四郎さん演じる太田牛一。いわずと知れた『信長公記』の著者であります。今回はその『信長公記』に記されている逸話のご紹介。

『信長好感度アップ大作戦』第二弾です!
ときは天正3年、長篠・設楽原の合戦があった頃の話です。
美濃と近江の国境に山中という村があり、そこで身体に障害のある者が乞食をしていたそうです。

京への行き来の際、何度かこの者を見かけた信長は疑問を抱き、村人に尋ねます。
「なぜあの者は、いつもあそこにいるのじゃ?たいていの乞食は住居を定めずさすらうのではないか?」
村の者が申すには「あの者の先祖は山中の宿で常盤御前を殺し、その報いで殺した者の子孫は代々身体に障害をもって生まれ乞食をする定めとなっています。“山中の猿”と呼ばれているのはあの者のことでございます。」

ちなみにご存知の方も多いと思いますが常盤御前とは源義経の母です。
このやり取りがあってしばらくしたある日、急遽上洛することになった信長ですがふと哀れな“山中の猿”のことを思い出し、自ら木綿二十反を用意します。

山中の宿に差し掛かると馬を止め、村人全員を集めるよう命じます。
何事かと恐るおそる集まった村人たちですが、信長はまず、木綿二十反を“山中の猿”に下賜し、村人に命じます。
「この木綿の半分を費用に当て小屋を作りこの者(山中の猿)を住まわせ、飢え死にしないようにみなで面倒を見てやるのじゃ」
さらに近隣の村人にも「年に二回、麦や米の収穫のとき各自負担にならない程度でよいのでこの者に少しずつ与えてくれればわしはうれしく思う」と付け加えました。

この情け深い配慮に“山中の猿”はもちろんのこと、村人や信長の共の者も皆涙し、そして、誰からともなく銭を差し出すものが次々と現れたそうです。
冷酷非情な面ばかり強調される信長ですが、このようなやさしい一面も持ち合わせていました。


【信長の棺 情報】
加藤廣著 日本経済新聞社信長の棺『信長の棺』あまなつAdhover 信長の棺

テレビ朝日 日曜洋画劇場 特別企画『信長の棺』 11月5日夜9時放送

信長と居眠り農夫

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織田信長史の更新がなかなか更新できずに申し訳ありません!
いろいろ調べて書くので時間がかかってしまうので、休みの日に更新したいと思います。

さて、ふと気づいたのですが、このブログが復活してから秀吉や光秀の活躍、そして織田信成君の話題や萌えわかり戦国時代のことを書いてきましたが、なんと信長の話題が一度もありませんでした!ということで今回は信長のイメージが少し変わる?エピソードを紹介したいと思います。

信長というと「比叡山の焼き討ち」や「伊勢長島の一向一揆大量虐殺」のように残虐な面が強調されがちで第六天魔王とか鬼などと呼ばれていますが、意外と人情味あるエピソードもいろいろ残っています。少ないですが・・・

そんな中からひとつ紹介してみたいと思います。
題して『信長好感度アップ大作戦』?!第一弾。信長ととある農夫のお話です。

いつの話かはわかりませんが、信長が合戦に向かうため軍勢を率いて領国内を通過中の話。

畑のわきを行軍していると農夫がそれに気づきもせず、のんびりと居眠りをしていました。
家臣の一人が「殿が出陣というのにのんきに居眠りをしているとは、無礼な奴!叩き斬ってやりましょう!」といきり立っていました。

そんな家臣に信長はこう言ったそうです。
「よいよい。ワシはなぁ、こうして皆が、平穏に暮らせる世を作るために日々戦っておるのじゃ」

台詞はちょっと違うかもしれませんが、信長は、領民に対して寛大で、敵対行動さえとらなければ、残虐な行為は一貫してとっていませんでした。

比叡山延暦寺にしても浅井・朝倉に加担しなければ攻撃するつもりはなかっただろうし、本願寺にしても政治に介入しなければ、戦うこともなかったかもしれません。
まあその辺が独裁者と呼ばれるところでもありますが・・・

まだまだいろいろなエピソードがありますが、随時紹介していきたいと思います。
お楽しみに!
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