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丹波亀山城

丹波亀山城と藤堂高虎

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今日は6月2日ということで本能寺の変が起きた日ですね。そんな日に鳩山首相が辞任という衝撃的?なニュースもあり誰かに裏切られての辞任か?!なんてくだらないことも考えたりしとります。

さて、これまで何度か本能寺ネタは書いてきましたが、今回は変とは直接関係はありませんが、明智光秀が本能寺襲撃直前に入城した居城・丹波亀山城について書きたいと思います。

丹波亀山城は今年築城400年の節目の年。2010−400=1610年築城・・・あれ?光秀が築城したはずなのに死後に築城されたことになってしまう?と思ってしまいますが実はこれ1610年の天下普請から400年ということになるようです。
ちなみに光秀が築城したのは天正4(1577)年頃ということで433年前のこと。

丹波亀山城は光秀の死後、秀吉配下の堀尾吉晴・信長の四男で秀吉養子となった羽柴於次秀勝その死後、小吉秀勝(秀次の弟)・豊臣秀俊(後の小早川秀秋)、前田玄以・茂勝父子と城主が次々と変わり、関ヶ原合戦の2年後、丹波亀山城は徳川家の居城となります。一時、代官として北条氏勝が在城後、慶長14(1609)年徳川家臣・岡部長盛が城主となり、その翌年、天下普請が行われます。

この天下普請には藤堂高虎や日向の秋月種長らが参加。建てられた天守閣は高虎が一時居城とした今治城(愛媛県)を解体・移築したもの。現在は石垣や堀などが残るのみのようですが、明治10年までその天守閣は存在していたとのこと。光秀時代の勇姿は分かりませんが、明治期まで存在した高虎築城の丹波亀山城を観たいと思う方は古写真などを研究して再建した愛媛の今治城を見に行くというのもいいかもしれませんね。

ちなみに今回参考にした以下のサイトのフォトギャラリーに明治期の丹波亀山城の子写真が掲載されています。興味のある方はご覧になってみてはいかがでしょうか?

【参考サイト】
丹波亀山城築城400年

愛媛県今治市HP『今治城の歴史』

明智光秀の丹波攻め 〜其の二 丹波亀山城攻略〜

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1577(天正5)年10月、信貴山城の松永久秀討伐を終えた明智光秀は、丹波攻めを再開することになります。

10月下旬、光秀は細川藤孝と共に丹波へ出陣し、29日には籾井城(兵庫県篠山市)を攻めます。籾井城はすぐに攻略されたようで、さらに明智軍は守護代内藤氏の籠もる丹波亀山城(京都府亀岡市)迫ります。
(※前回、内藤氏や宇津氏は初期の丹波攻めで降伏したとしていましたが、このときまで顕在だったようです。申し訳ありません)

明智軍は、丹波亀山城も短期間で攻略し、光秀は12月には本拠・坂本に帰国します。
この時の丹波攻めについては。『細川家記』や『兼見卿記』などには書かれていますが、なぜか『信長公記』には触れられていません。著者・太田牛一関心事は同時期に開始された中国・毛利氏攻めのほうにあったのかもしれません(?)

光秀は翌天正6年には、亀山城を修築し、丹波攻略の重要拠点としますが、この後、有力国人衆である赤井氏や波多野氏さらに他の国人衆の抵抗に苦しめられ、そのうえ例によって他の戦線への援軍や荒木村重の謀反なども重なり、丹波平定までは足かけ4年という長い年月を要することになります。
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