最近、『世界一受けたい授業』(見逃しました!)や他の歴史関連特番(見たんですが番組名忘れました・・)で「信長は女装の趣味があった」とする説が立て続けに紹介されたようですが、本当に信長は女装の趣味があったのでしょうか?

まず結論から言ってしまうと『NO』。間違いというか大きな誤解だと思います。

信長が女装をしたというのはウソではありませんが、信長が女装をしたのは私が知る限り1回のみ。それらしい記事を含めても2回。

それらしいというのは、前回の『左義長』での信長の扮装。『信長公記』に記されている“描き眉の化粧”をしたことが女装となるかは分かりませんが、一説にこの信長の女装が起源となって近江八幡で行われる左義長祭りでは、山車を担ぐ男性が女物の長襦袢を着たり化粧をしたりするようになったとも言われています。ただ、最近は少なくなったそうですが・・

そしてもうひとつは、同じく『信長公記』に登場する話で、弘治2(1556)年(信長23歳)と推定される7月18日に津島(愛知県津島市)で行われた盆踊りで天人に扮して女踊りをしたというもの。この“天人”も女踊りをしたことから考えると『天女』(女装)の可能性が高いと思いますが、実はこれもはっきり女装したとは書かれていないのです。

上記のような2回のみ(※私が知る限りです)のエピソードで、『信長は女装が趣味』というのは、的確な表現ではなく、『信長は女装したことがある』というのが正しいと思うのですがいかがでしょう?