天正10(1582)年4月10日、武田攻めの戦後処理を終えた信長は安土へ向け出発。すばやい行動が特徴の信長ですが、この時は東海道をのんびりと進み、富士山などの名所を見物しながら家康の接待を受けての、のんびりとした帰国となります。

この日は、甲府を出立し右左口(ウバグチ:山梨県東八代郡中道町)に陣を取ります。
徳川家康は、信長一行を迎えるにあたり、道路を拡張し、鉄砲に木々が当たらぬよう枝を切り落としたり、石を取り除くなどし、警備を配するのはもちろんのこと領内の各宿泊地に堅固な陣屋を建て、さらに将兵のための小屋を1000軒以上も建てたうえ、食事の準備もし、万全の体制を整えます。

11日早朝、右左口を出発。女坂・柏坂を進み本栖(西八代郡上九一色村)に陣取ります。

12日未明、本栖を出発。雪が積もる富士山の裾野、かみのが原・井出野では小姓衆が馬を乗り回し大はしゃぎし、その後、信長らは裾野にある人穴を見物。

ここでは浅間神社の境内を宿泊所としますが一泊だけなのに家康は金銀をちりばめた飾り付けをします。浅間神社の神官らは途中まで信長一行を出迎え挨拶をします。信長は周辺のことを尋ね、源頼朝が館を建てた上井出の丸山や白糸の滝などの名所の存在を知りますが実際に巡ったかはよく分かりません。
信長は浮島ヶ原でしばらく馬を乗り回すと浅間神社に戻ります。
信長は、家康の心づくしの接待に感謝し、秘蔵の脇差や薙刀・黒駮の馬を贈ります。

13日早朝、浅間神社を出発。足高山を眺めながら田子の浦を通り、途中の休憩では土地のものに地域の話を聞き、三保の松原や羽衣の松などを眺め江尻城に到着。

14日未明、江尻城を出発。駿府・府中(静岡市)の入り口の休憩所で今川氏の旧跡や千本桜の話などを聞き、武田勝頼が築いた持舟城などを眺め、宇津ノ峠を越え、藤枝宿入り口の偽之橋を見物し、田中城に到着。

15日未明、田中城を出発。藤枝宿(藤枝市)を越え、黄瀬川を渡り島田そして難所大井川越え。
この大井川で家康は家臣で泳ぎの得意な者を選び、川に横数列に渡り並ばせ川の流れを弱めるという配慮をし、信長一行の川越えを見届けます。

信長一行は無事、川を渡り牧野原城を眺めながら諏訪之原・菊川を通り、小夜の中山で休憩。日坂を越え掛川(掛川市)に到着、ここに宿泊します。

信長の“観光旅行”のような帰路はまだまだ続きます。