無事『織田信長史』も連載終了、改めて応援してくださった読者の皆様ありがとうございます!
まだまだ仕事が忙しく更新ペースはゆっくりになりますが、今後もよろしくお願いします。あっ今までもスローペースでしたね・・・(汗

さて歴史上の有名人に生存説はつきもの。日本では源義経が特に有名ですが、明治維新で活躍した西郷隆盛や海外ではドイツのアドルフ・ヒトラーも有名なところ。
情報技術の発達した現代でも某テロ組織の中心人物や某国の総書記の生死がはっきりしないなど、過去・現代にかかわらず多くの謎がありますね。

戦国時代の人物も真田信繁(幸村)が豊臣秀頼と共に大坂城を脱出し薩摩(鹿児島県)に落ち延びた話や明智光秀も天海僧正となり徳川家康の側近になった話など他にも色々な武将の生存説がありますね。

信長も本能寺の変の際、その死を確認した者がなく、遺体も見つからなかったことから生存説が残っています。

有名な説としては、本能寺から脱出し薩摩に落ち延びますが、脱出の際の傷がもとで間もなく没したというもの。

また、別の説としては本能寺から脱出した信長が秀吉と合流しながら、その存在を邪魔に思った秀吉が、その生存を隠すため大坂城に幽閉してしまったという説もあるようです。

いずれの説もその出所が不明ですが、本能寺は1万前後の明智軍に囲まれた状況であり、もし本能寺から脱出できるような状況(よく言われる地下道など脱出口があったなど)であれば、信長のこと明智軍と一戦を交えることなく素早く脱出したと思います。そう考えるとやはり信長は本能寺の炎の中、その生涯を終えたというのが真実と考えるしかないように思います・・・

最後にひとつ。お気付きの方もいると思いますが、信長と豊臣秀頼・真田信繁の両説がともに薩摩に落ち延びたという共通点。これはおそらく関ヶ原合戦後、宇喜多秀家が薩摩に落ち延び島津家に匿われていたという実話をもとに、江戸時代以降の人たちが創作したものかもしれませんね。