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安土城

安土城再建計画始動!・・・仮想現実の話ですが

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またもや前回の更新から1カ月以上経ってしまいましたが、もう開き直って今年は月1更新を目指して頑張ります!

さて、今回のタイトルにした「安土城再建計画」ですが、これは実際に近江八幡市が3ヶ年計画で進めているモノでCGによる“再建”。といってもPC上で見ることが出来るというものではなく、最近流行りの?バーチャルリアリティーでの再現で安土城跡に行きスマートフォンなどをかざすと天主跡に安土城天守閣が映し出される仕組みになるようです。

信長ファンとしてはあの天主台に天守閣が実際に再建されることを願っていますが、実際の姿が分からない現状での再建は反対の立場。模擬天主を建てるぐらいだったら信長時代の礎石を見ることが出来る現状の方がうれしいので、今回の計画はある意味大賛成といいたいところ。

ただ、その復元案の天守は有名な内藤昌氏の吹き抜け構造の天主閣。CG化によりどこまで表現するかはわかりませんが、おそらく外観のみが見ることが出来るようになるだけだと思います。吹き抜け構造の天主閣は、一般的にイメージされている信長像(独創的とか革新的など)と一致していて信長の城としてはいいのかもしれませんが、発掘調査では確認出来なかったようだし実際はどうだったのか不明。
外観の復元案としては佐藤大規氏案(よみがえる新説安土城 参照)が好きなので(完全に個人的趣味でスイマセン!)佐藤案がいいのにな〜とちょっと残念・・・

さて、ここで問題が一つ。ニュースの記事によれば「多機能情報端末「iPad(アイパッド)」などを利用し、(中略)再現」となっています。管理人、iPadやスマートフォンなど持っていません。最近はケータイからスマートフォンに乗り換える人も増えているようで、個人的にもかなり欲しい気持ちになっているものの毎月の利用料金を考えると・・・

まあ、安土城“再建”まであと3年あるのでじっくり考えてみるとするか・・・


【詳 細】
CGで安土城「再建」 近江八幡市、3か年計画 (読売新聞:2/17)

安土城を仮想現実で再現 近江八幡市、システム開発へ (京都新聞:2/20)

安土城を築城せよ!・・・ダンボールで実物大を目指す!?

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先日、いつものように戦国関連ニュースを調べていたらこんな記事を発見。

「段ボール安土城 築城せよ! 復元に挑戦 6月プレイベント」(京都新聞:4/16)

代表を務めている方が、昨年公開された映画「築城せよ!」を観たのがきっかけだったとか。
現在の天主跡に模擬天主を建てることは反対の立場の管理人ですが、ダンボールで安土城を“築城”しようとしている市民団体「段ボール安土城製作委員会」のこの活動は信長ファンとしては応援していきたいな〜と思います。

近くに住んでいればぜひこの活動に参加してみたいものですが、残念ながら神奈川からでは遠すぎて参加はできないのでブログを通じてひっそりと応援しようと思います。

記事によれば6月6日の「あづち信長まつり」でプレイベントを催すそうです。興味のある方は参加されてみてはいかがでしょうか?
しかし、ダンボールは頑丈と言いますが、45メートルもの天主閣をつくることは可能なのでしょうか?計画がまとまり無事、安土城が完成する日を楽しみにしています。


安土城図屏風にも奇跡を〜!!

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昨日の『歴史秘話ヒストリア』は、3年前に確認された「豊臣期 大坂図屏風」が取り上げられていましたが、約400年前の屏風が日本から遠く離れたオーストリアの城の壁にはめ込まれて現代まで伝わるとはホント奇跡ですね!

信長ファンとしては、こんな番組を見てしまうとどうしても考えてしまうのが、大坂図屏風の前に一足早く同じヨーロッパへ天正少年使節とともに旅立った屏風『安土城之図』。1585年3月にローマ法王グレゴリオ13世に献上された安土城を正確に描いたと考えられる屏風ですが現在その所在は不明。

フランス人宣教師が1736年に安土城の絵(ただし、正確に写したとは思えない)を残しているので、その頃まではヨーロッパのどこかに存在していたかもしれません。

数年前、安土町が【「安土城之図」探索プロジェクト】を立ち上げ現地調査を実施しましたが残念ながら発見できず調査は終了。プロジェクト自体もその後どうなったか不明ですが、公式ブログは更新されていないので解散してしまったのでしょうか?

400年以上も経過してしまい資料も乏しいため発見の可能性は極めて低いですが、今年の9月にも『秀吉の御所参内図』と『天皇の聚楽第行幸図』の屏風が発見されているので、『安土城之図』にも何とか“奇跡”が起きて欲しいな〜と願うばかりです・・・


しかし、屏風とは関係ないが、あの人魚のミイラはすごかったな〜・・・


ビョウブログ 幻の屏風絵「安土城之図」探索プロジェクト

安土城下の工事と石清水八幡宮修築の完了

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天正8(1580)年5月3日、安土に織田信忠・信雄が到着。信長から屋敷地を賜り、二人は屋敷の普請を命じます。

5日、安土山(常楽寺で?)で相撲大会が催され織田一門がこれを見物します。

7日、安土城下の掘割や船着場・道路整備などの土木工事が完了し、この奉行を務めていた丹羽長秀と津田信澄(信長の甥)は、信長から休暇を与えられます。

信長は長期にわたる工事に尽力した二人をねぎらうと共になるべく早く帰ってくるよう申し伝えます。

信澄は高島(滋賀県高島郡)、長秀は佐和山(彦根市)の領国にそれぞれ戻り休息します。

17日、信長は再び相撲大会を催します。この日は近江国中から多くの力士(具体数は不明)が参加。忍者の里として有名な甲賀地域からは30人の力士が参加します。
これを見物したのは信長の馬廻り衆でした。

元蒲生家臣で信長の馬廻り衆となった布施公保お抱えの力士が活躍し、信長に知行地を与えられ召抱えられます。
その他にも日野の力士などが活躍し褒美を与えられました。

26日、武田佐吉・林高兵衛・長坂介一が奉行となって前年12月26日から始められていた八幡(京都府八幡市)の石清水八幡宮の修築作業ですが、この日、御神体が仮社殿から新社殿に移し変えられます。この後も工事は続き、完了するのは8月中旬のことになります。

『信長公記』の著者・太田牛一は、石清水八幡宮の御神体を無事移し終え、「信長の武運長久・織田家の繁栄はますます確実になった」と書き記しています。

安土城下の整備

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石山本願寺の顕如が和睦を受け入れた数日後の話です。

天正8(1580)年閏3月10日、前月の小田原の北条氏に続き、宇津宮(栃木県宇都宮市)の宇津宮貞林(宇都宮広綱のことか?)が立川左衛門を使者として馬を献上してきます。
信長はこの馬を大変気に入り、返礼にしじら(織物)や毛皮・衣服・黄金などを贈ります。

宇都宮氏は、北条家と対立関係にあり、この頃当主の広綱は病に臥せっている状態で嫡男・国綱はまだ13歳の少年。織田家と北条家の同盟に脅威を感じ、織田家との友好関係を築く目的であったと思われます。広綱は、このわずか5ヵ月後の8月7日に37歳の若さで死去することになります。

16日、菅谷長頼・堀秀政・長谷川秀一が奉行となり、安土城の南側に掘割を作らせその土で田を埋め立てバテレンに屋敷地としてを与えます。これは現在碑がたっているセミナリヨ跡(神学校:建物の完成は翌天正9年)のことと思われます。

この頃、蒲生賢秀(氏郷の父)の家臣・布施公保が信長の馬廻りに加わり城下に屋敷を賜り、そのほかの馬廻り衆も城下の入り江の埋め立てや船着場建設に従事し、埋め立てた入り江に屋敷地を賜ります。

屋敷地を賜ったのは、稲葉通明(稲葉一鉄の兄)・高山重友(右近)・日根野六郎左衛門・日根野弘継・日根野半左衛門・日根野勘右衛門・日根野五右衛門・水野直盛・中西権兵衛(小姓か馬廻り)・与語勝久・平松十郎・野々村主水・川尻秀隆の13名。
日根野一族が目立ちますがこれは、元美濃斎藤氏家臣で天正元年頃から信長に従った弘就の弟などのようです。

4月に入り本願寺の顕如が石山を退去(9日)した前後の話になりますが以下のような出来事があります。

4月1日、有岡城番は矢部家定に代わり村井貞成(貞勝長男)に交代。

11日、越中の神保長住の使者が安土城百々橋(どどばし)付近で信長に馬を献上。

24日、丹羽氏勝(長秀とは無関係の尾張丹羽氏)の家臣が不注意から工事用の大石を信長一行の前に落としてしまい家臣たちは叱責をされ、一人が手打ちにされます。

安土城天主閣の完成

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安土城天主(セビリア万国博覧会展示品)
天正7(1579)年5月1日、信長は、有岡城攻めの本陣である古池田から京に帰還します。

3日、京での処務を終えると小姓衆だけを伴って安土に帰国します。

11日、信長は誕生日であるこの日(12日説も)、吉日という事で、安土山麓の居館から完成した天守閣に移り住みます。天正4年1月に築城を開始してから三年以上の月日が流れていました。

この年、天正9(1581)年7月の話になりますが、盂蘭盆会(うらぼんえ:7月15日)の夜、天主閣と安土城の敷地内に有る總見寺にたくさんの提灯を飾り火を灯し、さらに安土周辺の琵琶湖に提灯を乗せた船を何艘も配置していっせいに点灯させるという、言ってみれば現代のイルミネーション的演出を信長は考案し、その美しい光景を見た家臣・領民らは大いに喜んだそうです。

※写真は「安土城天主 信長の館」内に展示されているスペイン・セビリア万国博覧会に出展された、安土城天主5・6階部分を私が撮影・加工したものです。実物は、屋内に展示してあります。

興味のある方は下記リンク先に、昨年旅行したときの安土城の写真を多数紹介していますのでぜひご覧ください!
■諸国漫遊記 〜安土編 其の一〜
■諸国漫遊記 〜安土編 其の二〜
■諸国漫遊記 〜安土編 其の三〜

バチカンに眠る織田信長の夢

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連日のテレビ番組の宣伝になってしまいます。申し訳ありませんが、信長史の更新は週末までお待ちください!

さて今度はTBS系で来年1月29日に放送予定の大型歴史ミステリー『バチカンに眠る織田信長の夢』
再現ドラマとドキュメンタリー形式で、安土城と信長に迫ろうという企画らしいです。信長役は加藤雅也さんです。ちなみに秀吉役はビビる大木さん・・・
ローマ法王に献上されたという屏風『安土城之図』についても触れられるようです。
番組のロケ中に進展があることを願います!!

しかし、大河ドラマで『風林火山』やるので信玄公関係の特番が多いと思いきや信長公関連のほうが多いですね(私が知る限りですが)
信長ファンとしてはうれしい限りです。見逃さないように気をつけねば!

詳細記事→ 『加藤雅也、新説信長…来年1・29TBS「―信長の夢」』(スポーツ報知)

安土、強制転居

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1578(天正6)年1月29日、安土城下で火災が発生します。出火したのは信長の弓衆を勤める福田与一宅でした。この福田は、尾張に妻子を残し、自分だけが安土城下に転居しており、いわゆる“単身赴任”で、出火当時、家には誰もいない状況でした。

これを知った信長は、妻子がいればこのような不始末は起きなかったと考え、すぐさま菅屋長頼に命じ、家臣たちが妻子と同居しているか調べさせます。調べてみると弓衆や馬廻り衆の中に計120名も“単身赴任”の者がいることがわかりました。

信長はこの者たちを叱責すると不祥事再発防止のため岐阜の織田信忠に命じて、尾張に住んでいる妻子の住居を焼き払わせました。これにより行き場を失った妻子らは否応なく安土の夫の元へ移り住むことになりました。

信長はこれに加え、120名の家臣に速やかに安土城下に一家揃って転居していなかった罰として城下の南方の入り江に沿って道を作る工事をさせ、この完成を持って今回の罪を許すこととしました。

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