天正9(1581)年8月1日、信長は安土で再び馬揃えを催します。正月の左義長を含めるとこの年、三度目の馬揃えということになります。

この日も近隣の諸将及び近衛前久や織田家一門が参加しての馬揃えとなりました。
信長の装束は白い衣服に笠をかぶり虎皮の行縢姿で、葦毛の馬に騎乗していました。

その他の者は白い帷子(麻の着物)の上に絹の帷子や辻ヶ染めの子袖を片袖だけ脱ぎ、金襴(金を織り込んだ織物)や摺箔(型紙に糊をおき、その上から金箔、銀箔を押したもの)など、それぞれいろいろな袴をはき、笠・ほうこうを着けて騎乗。
この馬揃えも多くの見物人が集まったそうです。

12日、岐阜へ帰国していた信忠は、尾張・美濃の兵を集め長良川の河川敷に馬場を築かせます。築地塀(土を固め、瓦などで屋根を葺いた塀)を築き、高さ八尺(約2.4m)の柵を設け、ここで毎日のように配下の将兵に乗馬の訓練をさせます。

間近に迫った対武田戦を意識しての訓練だったのかもしれません。