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戦国時代

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応仁・文明の乱

1475年(文明7年) 〜拡大する戦乱〜

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【天皇:後土御門(103代)、将軍:足利義尚(9代)】

1月1日、乱のぼっ発以降途絶えていた朝廷儀式が再開される。この日は、京都御所・清涼殿の前庭で、四方を拝し一年の無病息災と豊作を祈る行事、四方拝の儀式が行われる。

2月19日、将軍・足利義尚、越前の甲斐八郎と対面。八郎は遠江守護代に任じられ、斯波義良と共に遠江に下向。

3月下旬、【加賀】冨樫政親に対し一向一揆衆が蜂起。

5月14日、東軍・成身院順宣らと西軍・越智家栄らが春日社で戦い東軍が勝利。山城の木津・天神河原では大和の筒井舜覚(順尊)と大内政弘が戦い、大内方の陶遠江守らが討ち取られる。

6月、【加賀】一向一揆がふたたび蜂起。

8月21日、【越前】本願寺中興の祖と言われる連如、加賀などでの一向一揆の拡大による戦乱を避けるため越前・吉崎御坊を離れる。のち小浜、丹波、摂津などを経て河内・出口に入る。

8月28日、幕府、遺明船を派遣。明に銅銭・書簡を求める。

10月、【安芸】徳政一揆蜂起。幕府、大内・毛利両氏に鎮圧を命じる。毛利豊元の活躍で一揆は鎮圧。同じ頃、大内氏の居城・鏡山城を包囲していた東軍も毛利軍が打ち破る。

10月、【近江】幕命、延暦寺に六角高頼討伐を命じる。六角氏本拠・観音寺城下延暦寺僧兵と六角軍が戦い延暦寺方が勝利。

11月【近江】六角高頼、西軍・美濃の土岐成頼や斎藤妙椿らの援軍を得て反撃。幕府軍を破る。

11月18日、【尾張】斯波義廉、・上四郡守護代織田敏広(西軍)に擁立されて尾張へ入国。東軍に属する下四郡守護代・織田敏定を破る。


【その他の出来事】
5月24日、京都で、この日から3日間、大雨。洪水の被害がある。

8月6日、京で、暴風雨。和泉や摂津の沿岸で津波が発生し、多くの犠牲者がでる。


【生】
天野興定:天野興次の子。安芸国の国人・天野氏当主。

一条房家:土佐国司。土佐一条氏の第2代当主。関白一条教房の次男。

宇都宮興綱:下野・宇都宮氏第19代当主。

木曾義元:木曾家豊の子。信濃木曾氏の当主

清原宣賢:公卿。吉田神社詞官神道家・吉田兼倶の三男。清原家養子。細川藤孝の祖父。

陶興房:大内氏の重臣。陶弘護の子で晴賢の父。周防守護代。

宗晴康:対馬の守護。宗氏の第16代当主。

畠山尚順:尾張守。畠山政長の子。紀伊・河内・越中の守護。



【没】
長尾定景 (足利長尾氏)文明7年2月6日内上杉家の家臣である足利長尾氏の第2代当主。


【織田信長誕生まであと59年】



※主に戦国150年ニュース―戦国時代をフォーカス! (別冊歴史読本 (23))を引用・参考にさせていただいています。

1474年(文明6年) 〜山名政豊と細川政元の和睦〜

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【天皇:後土御門(103代)、将軍:足利義尚(9代)】

1月11日、大内政弘、山城の寺社領返還。

1月18日、【越前】朝倉孝景、越前にて甲斐八郎の杣山城攻略。

4月3日、山名政豊と細川政元が和睦。しかし、和睦反対派の東西諸将の小競り合いはなお続く。

4月23日、山名政豊軍と畠山義就軍の足軽同士が小規模な合戦を交える。西軍内部対立が表面化。

閏5月5日、畠山義就、日野勝光を通じ東軍との講和と京への帰参を図る。

6月、【越前】美濃守護代・斎藤妙椿、越前へ赴き、朝倉孝景と甲斐八郎を和解させる。

6月26日、山名政豊ら西軍諸将が新将軍義尚と対面。西軍は義尚の叔父・義視を将軍後継に推していたがその方針転換を名実ともに天下に示す。西軍主力の大内政弘や畠山義就・土岐成頼らが反発。

7月、【加賀】越前に逃れていた富樫政親が蓮如の命を受けた本願寺派門徒を率い加賀の侵攻。

7月6日、山名政豊、山城守護に任じられる。

7月26日、大内政弘や畠山義就・土岐成頼ら西軍の諸将が上京・北野に放火。西軍総帥・山名政豊がこの鎮圧に動く。

9月20日、【九州】東軍方の菊池重朝や大友親繁が北九州の大内領への侵攻を画策。この動きを知った大内政弘は本国に帰国するため日野勝光を通じ、将軍・義尚や山名政豊らとの和睦を求める。

11月1日、【加賀】加賀一向一揆蜂起。西軍に属する富樫幸千代が高田派門徒と手を組み、東軍に属する兄の富樫政親を攻撃。政親は本願寺派門徒に援軍要請。この合戦で、幸千代方の守護代小杉某が討死。この後、政親、加賀守護に返り咲く。


【その他の出来事】
2月16日、一休宗純、大徳寺住持となる。



【生】
富樫稙泰?:加賀守護。富樫家16代当主。


【没】
土岐持益:美濃国守護。
島津立久:島津氏第10代当主。応仁・文明の乱では名目上東軍に所属。
今川貞延:遠江守護今川氏6代目当主。


【織田信長誕生まであと60年】



※主に戦国150年ニュース―戦国時代をフォーカス! (別冊歴史読本 (23))を引用・参考にさせていただいています。

1473年(文明5年) 〜東西総大将の死と将軍職継承〜

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【天皇:後土御門(103代)、将軍:足利義政(8代)/義尚(9代)】

2月21日、【美濃】将軍足利義政、東軍に属する信濃の小笠原家長(松尾家)に信濃守護・小笠原政秀(鈴岡家)とともに西軍の美濃守護・土岐成頼を征伐するように命じる。

3月17日、【美濃】将軍足利義政、美濃の富島為仲に小笠原家長や木曽家豊と協力して出陣するように命ずる。小笠原家長・木曽両軍は、東美濃に攻め込み、守護代・斎藤妙椿が守る土岐氏の居城・大井城と荻島城を攻め落とす。

3月18日、山名宗全、自害の際の傷がもとで病没。

4月、幕府?、後ろ盾の宗全を失った畠山義就に対して畠山政長との講和を提案するが義就は拒否。

5月11日、細川勝元が流行病で死去。謀殺説も。8歳の嫡男・政元が家督相続。

6月23日、【武蔵】五十子の陣中で山内上杉氏の家宰・長尾景信死去。

6月24日、義政と義視がそれぞれ父で6代将軍の義教の33回忌法要を行う。

8月26日、義視が大内政弘の館に入る。

11月24日、【武蔵】古河公方・足利成氏が五十子の上杉陣を急襲し、扇谷上杉政真が討死。

12月19日、義政、子・義尚を元服させ将軍職を譲る。弱冠9歳。


【その他の出来事】
11月29日、幕府、紙商人九郎三郎光次に取引の独占を許可。


【生】
朝倉貞景:朝倉家9代当主。義景の祖父。(2月5日)

荒木田守武:伊勢神宮祠官・連歌師。

今川氏親:今川家7代当主。義元の父。駿河守護職・遠江守護職。文明3年生まれ説も。

松平長親:松平氏の第5代当主。家康の高祖(祖父の祖父)。


【没】
山名教之:山名熙之の子。伯耆・備前守護。(1月16日没。享年不明)

伊勢貞親:伊勢貞国の子。室町幕府政所執事。(1月21日没。享年57歳)

山名宗全:守護大名。応仁・文明の乱の西軍総帥。 (3月18日没。享年69歳)

細川勝元:細川氏嫡流・京兆家の当主。幕府管領。応仁・文明の乱の東軍総帥。(5月11日没。享年44歳)

長尾景信:山内上杉氏の家宰。古志長尾氏とは別人。五十子の戦いで陣没。(6月23日没。享年61歳)

上杉政真:扇谷上杉家当主。上杉顕房の子。相模国守護。五十子の戦いで敗死。(11月24日没。享年23歳)


【織田信長誕生まであと61年】



※主に戦国150年ニュース―戦国時代をフォーカス! (別冊歴史読本 (23))を引用・参考にさせていただいています。

1472年(文明4年) 〜山名宗全、切腹事件〜

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【天皇:後土御門(103代)、将軍:足利義政(8代)】

1月15日、西軍・山名宗全が東軍・細川勝元に和睦を提案。

1月16日、西軍・山名方は畠山義就や大内政弘らすべてが賛同したものの、東軍細川方では赤松政則が強硬に反対し和平交渉は決裂。

1月21日、和平交渉決裂による絶望のためか、宗全が切腹。家臣らに引き留められ一命は取り留める。※5月だったという説もあり。

2月、関東では古河公方・足利成氏が結城氏らの支援を得て古河城を奪還。

3月16日、細川勝元が隠居しようとするが家臣に引き留められる?

8月6日、朝倉孝景、南条郡府中(武生市)の越前守護所にいた西軍の甲斐八郎や守護・斯波義敏の子・松王丸らを攻める。甲斐・斯波方が敗北し京都や近江・加賀などに落ち延びる。

8月14日、朝倉孝景、越前府中に入る。

8月、山名宗全、隠居。孫(子という説もあり)の政豊に家督を譲る。

9月3日、近江・坂本の馬借が蜂起。日吉十禅師社の下殿を焼く。

9月25日、山城国土一揆が奈良に乱入し、薬師寺などを焼く。

10月3日、幕府が朝鮮に使節を派遣。

12月2日、松王丸元服。斯波義良(よしすけ)と名乗る。


【その他の出来事】
12月、一条兼良の『花鳥余情』 (中世の『源氏物語』の注釈書)成立。
・中禅寺の宝殿修復が行われる。
・周防国庁が焼失する。

【生】
近衛尚通:政家の子。右大臣や関白・太政大臣など歴任。(10月12日)
佐野秀綱:佐野盛綱の子。下野国・佐野氏12代当主。

【没】
鷹司房平:右大臣鷹司冬家の子。内大臣や右大臣・左大臣・関白など歴任。(11月16日没。享年63歳)


【織田信長誕生まであと62年】



※主に戦国150年ニュース―戦国時代をフォーカス! (別冊歴史読本 (23))を引用・参考にさせていただいています。

1471年(文明3年) 〜下剋上、朝倉敏景や長尾景信の台頭〜

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【天皇:後土御門(103代)、将軍:足利義政(8代)】

3月、古河公方・足利成氏派の小山・結城・千葉氏らが伊豆国三島の堀越公方・足利政知を攻める。古河公方派が序盤優勢であったが、山内上杉氏の援軍を得た堀越公方派が反撃。古河公方派は壊滅・敗走。

4月、太田道真(道灌の父)、上野国・舞木城を攻略。
4月、山内上杉氏の家宰で越後守護代の長尾景信(古志長尾氏当主とは別)、下野国に攻め入り、赤見城や樺崎城を攻略。

5月21日、将軍・足利義政、東軍・細川方に寝返った朝倉敏景(孝景)に越前守護への補任を密約。以後、越前平定に向け対立勢力と攻防を繰り返す。

5月23日、東軍に味方する長尾景信、古河公方の上野国館林城、館林舞木城を攻略。

5月30日、将軍・義政、越後守護上杉房定ら関東や奥羽諸将に古河公方・成氏討伐を命じる。長尾景信が古河公方・足利成氏を攻め居城・古河城を包囲。

6月24日、古河公方・成氏、下総・千葉孝胤のもとに逃走。

7月27日、本願寺法主・蓮如、越前・吉崎に北陸布教の拠点となる道場・吉崎御坊を設立。

8月26日、西軍山名氏が南朝皇胤・小倉宮を擁立。

閏8月、毛利豊元(元就の祖父)、京から領国に帰国すると、幕府への不信感から西軍に寝返り、大内政弘に従い旧領奪還。

9月11日、敏景、池田荘の池田勘解由左右衛門尉を攻める。

11月5日、幕府、薩摩・島津立久に琉球渡航船の取り締まりを命じる。

12月26日、大内道頓が豊前・馬岳城で自刃。

【その他の出来事】
1月、郡上八幡の歌人・東常縁(トウ ツネヨリ)、飯尾宗祇(ソウギ)に古今伝授を許す。
9月12日、桜島(向島)が噴火。文明大噴火。多数の死者が出る。

【生】
武田信縄:甲斐守護職武田家の第17代当主。信玄の祖父。

千葉勝胤:本佐倉城城主。

伴野貞祥:武田信玄家臣。信濃国前山城主。

長尾為景:越後守護代・越中国新川郡分郡守護代。上杉謙信の父。

二条尚基:公卿。二条政嗣の子。



【没】
北畠教具:伊勢国司北畠家の第4代当主。東軍所属。病死。(3月23日、享年49歳)

武田信賢:若狭武田氏の第2代当主。東軍所属。病死。(6月2日、享年52歳)

栂野和泉守:朝倉敏景(孝景)の家臣。池田荘攻めの際、討ち死に(9月11日、享年?)

山名豊之:伯耆守護。足利義政の御供衆。西軍所属。謀反により謀殺。(9月、享年?)

大内道頓:大内持盛の子。東軍所属。自刃。(12月26日(※1472年)、享年42歳)


【織田信長誕生まであと63年】



※主に戦国150年ニュース―戦国時代をフォーカス! (別冊歴史読本 (23))を引用・参考にさせていただいています。

1470年(文明2年) 〜大内政弘VS道頓 大内家の分裂〜

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【天皇:後土御門(103代)、将軍:足利義政(8代)】


1月14日、西軍山名勢、鳥取尾山の山名是豊を攻めるも敗北。

2月9日、大内政弘が上洛しているすきを狙って叔父・大内道頓(教幸)が赤間関にて挙兵。東軍細川陣営に加わる。東軍の細川勝元が大内家の分裂を狙ったもので、道頓は実子で政弘の養子となっている嘉々丸の安堵を求める。

3月、大内道頓、西軍・大内政弘に従っている重臣・陶弘護と仁保盛安を調略。仁保盛安が東軍に寝返る。

4月26日、大内政弘に従っていた仁保盛安の子・十郎も東軍に寝返る。

4月30日、西軍・山名方の畠山義就が東軍の拠る山崎を攻めるため鳥羽に布陣。

5月4日、淀にて東西両軍激突。

5月19日、摂津国・中島に大内政弘と共に陣を構えていた宗全の子・山名政豊と仁保弘有が東軍に寝返り兵を退く。この年、弘有は嫡子・護郷に家督を譲って隠居。

5月20日、東軍の野田泰忠や薬師寺与次らが摂津国茨木城を攻略。

5月22日、将軍・足利義政が道頓に大内家の分国の安堵状を与える。

6月18日、西軍の筑前国・麻生弘家の一族麻生家延が東軍・大内道頓に呼応し、弘家の被官を討つ。

7月19〜21日、西軍・大内政弘軍が勧修寺や醍醐寺を焼き打ち。山科などで合戦。

7月23日、大内政弘、南山城・綴喜郡八幡に下向。

8月10日、二条政嗣が関白に任ぜられる。

9月22日、京極氏の被官で東軍細川方の多賀高忠が西軍六角高頼に敗れ、近江国が西軍の勢力下になる。

?月、周防国にて大内政弘の重臣・陶弘護が京より帰国した益田貞兼と共に大内道頓と吉見信頼らの軍を撃破。道頓、吉見の領国石見に逃亡。この年、陶氏により若山城が築かれる。


【この年の他の出来事】
外交僧瑞渓周鳳が著した3巻から成る対外交渉についての書『善隣国宝起』(ゼンリンコクホウキ)が成立。余談、信長の野望・蒼天録の家宝の一つとして登場。
※前回記事で誤って1469年成立としていました。申し訳ありません。

9月、朝鮮国王・世祖が対馬国島主に使船の数の順守や渡航許可の濫発防止などの通交是正を求める。


【生】
姉小路済継:飛騨の大名で、姉小路基綱の嫡男。
佐竹義舜:常陸国の戦国大名。佐竹氏の第15代当主
塩谷孝綱:下野国の戦国武将。別名・泰綱。宇都宮正綱の四男。
天室光育:越後の僧侶。林泉寺六代住職。上杉謙信の師父。


【没】
島津忠国:島津氏第9代当主。(1月20日、享年64?)

逸見繁経:若狭武田氏被官逸見氏の一族。(7月19日、享年?)

京極持清:近江守護。京極高光の子(8月4日、享年64)

酒井氏忠:西三河の豪族左衛門尉系酒井氏の祖。(10月11日、享年?)

畠山政国:総州家。越前にて朝倉孝景に謀殺される(10月、享年?)

後花園法皇:第102代天皇。彦仁(ひこひと)。(12月27日、享年52)

北郷持久:日向守護島津氏の有力支族である北郷氏5代当主。(?)


【織田信長誕生まであと64年】



※主に戦国150年ニュース―戦国時代をフォーカス! (別冊歴史読本 (23))を引用・参考にさせていただいています。

1469年(応仁3年・文明元年) 〜「応仁」から「文明」へ〜

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【天皇:後土御門(103代)、将軍:足利義政(8代)】


1月8日、足利義視が山名宗全邸に「御成」。西軍諸将に馬や太刀を下賜。

3月14日、足利義視、山名宗全邸に再び「御成」。

4月28日、「応仁」から「文明」に改元。

6月16日、摂津の国人、36氏が大内政弘の配下となる。

7月12日、将軍・足利義政は大友親繁に豊後を与え、隣国大内領侵攻を命じる。親繁は対馬に逃れていた少弐頼忠らとともに大内教幸を擁して豊前や筑前・肥前に攻め入りる。

8月13日、雪舟らが乗り込む遣明船が帰国。摂津が大内氏に占拠されたため土佐に入港。

9月、備中領民の蜂起。細川勝元の入国を拒絶。
10月16日、西軍・山名宗全の子でありながら父と対立し東軍に与した山名是豊や赤松政秀らが摂津へ攻め入り大内軍を撃破。


【この年の他の出来事】
東軍・細川勝元に与する赤松政則が置塩城を築城。置塩城の建材は約100年後、姫路城に転用されることになる。


【生】
葛西晴重
九条尚経
相良長毎
高辻章長
長尾景長
矢部宗春


【没】
伊達持宗:伊達氏の第11代当主(1月8日、享年77)
大森頼春:小田原城の築城主。(1月18日、享年?)
尚徳王:琉球王国の第一尚氏王統の第7代国王(4月23日、享年29)
一条政房:一条教房の長男。従二位権大納言。(10月17日、享年27?)
長尾頼景:越後国守護代。 上杉謙信の高祖父(おじいちゃんのおじいちゃん。9月、享年79)。


【織田信長誕生まであと65年】



※主に戦国150年ニュース―戦国時代をフォーカス! (別冊歴史読本 (23))を引用・参考にさせていただいています。

1468年(応仁2年) 〜将軍・義政と弟・義視の対立〜

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【天皇:後土御門(103代)、将軍:足利義政(8代)】


3月21日、西軍主力の山名持豊(宗全)や畠山義就・大内政弘・斯波義廉らが京・伏見の稲荷山を攻める。稲荷山に拠る東軍・細川勝元の足軽大将で盗賊集団の首領・骨皮道賢が朝倉孝景(宗滴の父)に討たれる。

4月、将軍・義政、伊勢に逃れていた弟・義視を京に呼び戻す。

5月2日、東軍・細川成之が尾張・越前・遠江の守護を兼ねる西軍・斯波義廉邸を襲撃。

7月15日(10日?)、斯波義廉は管領を罷免され代りに細川勝元が就任。

9月4日、東軍、仁和寺の西軍を攻撃。


9月22日、義視が諫書を将軍・義政に提出。日野勝光らの排除を訴えるも受け入れられず対立が深まる。

11月、幕府内で孤立した状況になった義視に勝元は出家を勧め比叡山にのぼらせる。

11月24日、義視が西軍・山名陣営に取り込まれる。西軍、洛外山科を攻撃。

12月5日、義視の官位剥奪。

12月19日、近江にある義視の所領没収。



【この年の他の出来事】


【生】
明智光継(5月20日)
宇都宮成綱
北畠材親
島津運久

【没】
骨皮道賢:盗賊集団の首領。東軍・細川勝元の足軽大将(3月21日、享年?)

京極勝秀:守護大名・京極持清の長男。西軍・山名氏に属す。(7月6日、享年37?)

小鴨之基:伯耆の武将。備前守護代。船岡山の戦い(後の永正の船岡山の戦いとは別)で討ち死(9月7日、享年?)

陶弘房:大内氏の重臣。陶盛政の次男。京都相国寺の戦いで討死(11月14日、享年20歳前後)

相良長続:相良氏の第11代当主。東軍・細川氏に属し、病没(享年58)

少弐教頼:少弐氏当主。少弐満貞の子。東軍に属し、九州にて大内軍と戦い敗北。筑前の高祖城において自刃(享年?)



【織田信長誕生まであと66年】


※主に戦国150年ニュース―戦国時代をフォーカス! (別冊歴史読本 (23))を引用・参考にさせていただいています。

1467年(文正2年、応仁元年) 〜応仁・文明の乱、勃発〜

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【天皇:後土御門(103代)、将軍:足利義政(8代)】

1月18日、畠山政長、上御霊社にて挙兵。畠山義就と管領家の家督相続を争い、応仁・文明の大乱のきっかけとなる。

3月5日、改元。元号が「文正」から「応仁」になる。

5月10日、赤松政則挙兵。細川勝元の支援を受け播磨に攻め込む。

5月26日、京にて細川勝元率いる東軍と山名持豊(宗全)率いる西軍が激突。応仁・文明の大乱勃発。

5月28日、将軍・義政が両陣営に停戦を命じるが不調に終わる。

6月3日、東軍・細川方に将軍旗が授けられる。

6月8日、義政の弟・義視が細川方征討軍の大将となり出陣。

8月23日、西軍・山名に与する周防・長門・豊前・筑前などを領する大内政弘が上洛し東寺に陣を構える。大内氏の上洛により、義視は伊勢へ逃れる。

9月1日、武田基綱と畠山義就が等持寺にて戦う。

10月3日、相国寺で東西両軍が戦う。


【この年の他の出来事】
禅僧で水墨画家として活躍した雪舟が遣明船に随行。
備中の農民が代官・大林氏打倒を計画。


【生】
6月1日、志道広良
以下月日不明
武田元繁
島津善久
大石定重


【没】
9月1日、正親町三条実雅(59)
9月6日、上杉持朝、死去(50)
9月9日、山名教豊、死去(46)
12月24日、佐竹義人、死去(68)


【織田信長誕生まであと67年】


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