さてお待たせしました。今回は名古屋旅行初日、桶狭間古戦場の次に訪れた犬山城です。別名「白帝城」と呼ばれる国宝の城の中では最も古いすばらしい城です。

犬山遊園駅からが近いようですが、犬山駅から江戸時代を思わせる古い建物を見ながら城へ向かうのもいいかもしれません。ちなみに私は犬山駅から向かいました。


犬山城-001
犬山城は天文6(1537)年に信長の叔父である織田与次郎信康が築城
主要な部分は戦国当時のままで関ヶ原合戦頃を中心に補強・増築など城郭の整備がされていったようです。

信長死後、天正12(1584)年の羽柴秀吉vs織田信雄・徳川家康連合の小牧長久手合戦では、秀吉が12万の軍勢を率い犬山城に入城。秀吉軍の重要拠点となります。

そして、この犬山城を築いた織田信康公のご子孫である雪姫様が綴っているブログが『物集女街道まっしぐら』です。

武具置き場
模型は犬山城の骨組みですが、両脇に写っている棚は武具置き場です。かつてはこの棚に、甲冑や武器が置かれていたのでしょうか。部屋の広さとしては12畳ほどだったと思いますが、あまり多くの武器は置けなかったかもしれませんね?

犬山城内-001
右手に写る“ゲスト"と比較するとよくわかると思いますが、立派な梁が城内各所に使用され犬山城を支えています。このような立派な造りだからこそ400年以上たった現在もその原形を保ち続けることができるんでしょうね。

犬山城内-002
この部屋は「上段の間」。決して“冗談”ではありません・・・。城主が政務を行った部屋で最上の造りになっているそうです。奥に見える戸の向こう側は「武者隠しの間」で、家臣が待機し、万が一の時には、ここから飛び出し殿様の命を守る役目を負っていました。

犬山城武者走り
武者走り?武者溜まり?ちょっと忘れてしまいましたが、ここを多くの武者たちが行き来したのを想像するとまさに武者震いが・・・



桃型瓦
この瓦は桃がモチーフなのでしょうか?かつて秀吉が鬼門の方角(北東)に鬼瓦の代わりに桃型の瓦を葺いたと聞いたことがあるような・・・鬼を退治した桃太郎から来たんでしょうな?
この瓦が桃なのか、そして鬼門の方角かもわかりませんが、北東に「桃太郎公園」なるものがあります。今回は行きませんでしたが・・・。犬山は桃太郎と何か関係があるのでしょうか??

犬山城天守からの眺め
これは天守から見た西の景色です。遠くに移る山は伊木山(夕暮富士)。手前の川は木曽川です。木曽川といえば鵜飼ですね〜。こちらもまだ見たことがありません。

犬山城天守閣自体はさほど大きくはありませんが、景色は最高ですね。この日は初夏を思わせる暑さでしたが、城内は風がよく通りかなり涼しかったです。



成瀬正成肖像画 (成瀬氏初代城主)
この肖像画は、成瀬氏初代の犬山城主・成瀬正成(なるせまさなり)。他にも11代目までの肖像画(近代の当主は写真)が並んでいました。

犬山城は、なんと平成16年まで成瀬家の所有物だったということで驚きですね。もちろん住んでいた訳ではないようですが・・




小牧山合戦使用鎧
この鎧は、小牧合戦で使用された物だそうです。誰が着用したかは書いてありませんでしたが、初代・成瀬正成が、小牧合戦で初陣したそうなのでそのとき着用したのかもしれませんね?
他にも4領くらい甲冑が展示してありました。






長篠合戦図屏風(部分)
これは『長篠合戦図屏風』です。犬山城とは無関係ですが、偶然にも近くの犬山市文化資料館で特別公開されていました。(普段は公開されていないのでしょうか?)
現物を見るのは初めてで迫力があり、ホントにラッキーでした!
ちなみに、この屏風には成瀬正成の父・正一が描かれています。

そしてこの資料館には、もう一点、初代・成瀬正成が初陣し、本人が描かれている『小牧長久手合戦図屏風』も所蔵されておりこちらも拝見。こちらもすばらしかったです。残念ながら館内撮影禁止(ちなみに長篠の画像はパンフレットからです)だったので写真はありません。申し訳ありません。

この二つの屏風は(財)犬山城白帝文庫が所蔵するものです。リンク先に詳細は確認できませんが雰囲気だけわかる小さな画像があります。そちらでご勘弁を!


以上犬山編でした。次回は信長が父・信秀の葬儀の際、焼香を投げ付けたエピソードの舞台である『万松寺・總見寺編』です。来週公開予定です。