福江城 (石田城)・大手門今日、ちょっとした事情で写真を整理していたら福江城の写真を発見!そういえば戦国時代とは無関係だったので紹介していなかったな〜と思い今回ご紹介。
一般的には「石田城」と呼んだ方がいいのでしょうか?江戸時代末期の文久3(1863)年、坂本龍馬が勝海舟の下、各地を飛び回っていた頃、完成した日本で最後に作られた(※現代の観光目的の城は除く)福江藩主・五島氏の居城・福江城。
1872年、建物は解体され現在は城域に五島高校や観光資料館・図書館などが建てられています。ちなみに写真は福江城の大手門で、9年前の2000年に撮影したもの。

五島邸・心字が池城内に残る建物として貴重なのが、五島氏30代盛成公の隠居所として建てられた邸宅。安政5(1858)年に作られ、庭園にある“心字が池”は金閣寺の丸池を模したそうで、上から見ると“心”の字に見えるそうです。


武家屋敷の塀福江城の近くには、わずかながら江戸時代初期の武家屋敷跡がありますが、写真は武家屋敷の塀。塀の上に丸い石を積み並べ端はかまぼこ型の石で押えているのが特徴。塀を乗り越えてこようとする敵を撃退する目的があるものと思われます。建物自体は残っていませんが、『福江武家屋敷通りふるさと館』という資料館が武家屋敷跡に作られておりかつての城下町の模型や郷土民芸の実演、写真の展示などがあります。



五島市立図書館“福江城天守閣”と言いたいところですが、実は市立の図書館。当時は福江市でしたが、周辺地域との合併で現在は五島市。富江町・玉之浦町・三井楽町・岐宿町・奈留町の町名が表舞台から消えてしまったのは実に悲しい・・・なぜ?



常灯鼻写真の常灯鼻は灯台ですが、福江城築城時、防波堤の役割も果たすように作られており、かつて海に面していた“海城”である福江城の城壁といってもいいかもしれません。小規模ながらこのような作りは日本の城の中ではまずらしいと思われます。



明人堂天文9(1540)年頃、明の貿易商人・王直はかつて福江を拠点に活動。このお堂に安全を祈願したようです。王直は第17代藩主・五島(当時宇久)盛定公にこの周辺の土地を与えられたようで、唐人町と呼ばれており、当時掘られた六角井戸も近くにあります。ポツンと井戸があるだけなのでさびしい感じですが・・・


福江島・景色1市街地から離れたとある場所。さて、今回なぜ長崎県の五島列島・福江島なのか?というと実は私の故郷・・・といっても両親の代までのことで私自身の生まれは違うんですが・・・
写真の地は代々ご先祖様が暮らした地。ご先祖様は海賊だったという話もあり、この近海を任されていたとも伝わりますが、まあおそらく普通の漁師だったのでしょう?
離島のため戦国時代、天下取りとは無縁の地でしたが、五島列島もそれなりに争いがあったようです。


ちゃんここ型公衆電話おまけ。福江にはチャンココと呼ばれる8月のお盆行事の念仏踊りがありますが、写真はその際に着る衣装をかたどった公衆電話。現在もあるのかは不明です・・・不況のためかこの公衆電話のある商店街はシャッターの閉まっている店が多いとか。

今回ご紹介の史跡の他、五島列島には堂崎天主堂や水之浦教会・井持浦教会ルルドなどキリスト教関係史跡も多く、特に堂崎天主堂は『長崎の教会群とキリスト教関連遺産』として世界遺産暫定リストに登録されています。

さらに平家の落ち武者伝説のある「六方」や五島氏の祈願寺で狩野永徳の高弟・大坪玄能筆の天井画がある「明星院」などもあります。そして、なんといっても手つかずの自然が多く、きれいな海がありますので釣りやダイビングなど楽しむ方には最高の場所だと思うのでぜひ観光で訪れてみてください!
五島うどんや五島牛・新鮮な魚などおいしい料理も待っています!
・・・と最後は観光PRでしたが、戦国関連史跡はほとんどなし!ウ〜ン・・・


【五島情報サイト】
五島市観光協会
五島市ウェブ