今年の目標、月一更新にギリギリ間に合いました〜!ホッ・・・

今年の大河ドラマ『江』ですが、宮崎あおいさんが主演し大好評だった『篤姫』の時と同じ脚本家の田渕久美子さんでありながら、出だしこそ高視聴率でしたが、信長と上野樹里さん演じる江を無理やりからませようとして、無理な年齢設定があだとなりなにかと批判されていていますね。
前回、秀吉が病になり、弟秀長を総大将、副将に甥・秀次と四国・長宗我部攻めということで1585年(天正13年)6月頃。江の生まれが1573年生まれ(他説あり)だとすると数え13歳。上野樹里さんが今年25歳になるそうなので、まだまだ年齢設定に無理があり厳しい状況ですが、主演の上野樹里さんは好きな女優さんの一人なのでバッシングに負けず頑張ってもらいたいものです。

さて今回は、浅井三姉妹ネタではなく“織田十三姉妹”ネタ。
信長には伝わっているだけで、実の娘・10人(9人?)と養女3人(4人?)がいたようです。信長の姪というだけで秀吉に都合よく政治的に利用されてしまった浅井三姉妹ですが、それならば信長の娘であればもっと利用されてもおかしくないような気がしますが・・・?
この頃、信長の娘たち“十三姉妹”はどうしていたのでしょうか?


■実子編
【長女・徳(五徳)】徳川家康の長男・信康に嫁ぎますが、家康の命で信康が自刃して果てると織田家に帰参。兄・信忠その死後は信雄の下に身を寄せ、小牧長久手の合戦後秀吉に人質として差し出されていたようです。その後、政治的に利用されることなく1636年に死去。

【次女・冬姫】蒲生氏郷の正室。1595年に氏郷が死去すると、秀吉は冬姫を側室として迎えようとしますが拒否。秀吉は激怒し、息子・秀行を会津92万石から下野・宇都宮18万石へ減転封したという逸話もあります。1641年に死去。

【三女・秀子(日栄)】筒井定次(順慶の従兄弟で嗣子)の正室。一説に明智光秀の娘で信長の養女になったともいわれているようです。1632年に死去。

※もし秀子が養女だとすると以下の順番が変わってきます。ご了承ください。

【四女・永姫】前田利家の長男・利長の正室。子供に恵まれず兄信雄の娘や、義理の妹・豪姫の娘らを養女にしたそうです。利長死去後は剃髪し、1623年に死去。

【五女・報恩院】丹羽長秀の長男・長重の正室。1653年に死去。信長の娘の中で最も長生きしました。

【六女・三の丸殿】唯一秀吉の側室になった姫。一旦蒲生氏郷の養女となってから秀吉の側室となっているようで、さすがの秀吉もかつての主君・信長の娘に手をつけることには遠慮があったのでしょうか?秀吉死去の翌年、公家の二条昭実と結婚しますが、1603年に死去。

【七女・於振】水野忠重の次男・忠胤(家康の従兄弟)の正室。後に江の最初の夫・佐治一成の継室となっています。

【八女・鶴姫】中川清秀の嫡男・秀政の正室。

【九女・名前不明】公家・万里小路充房の正室。嫡男・孝房が1592年生まれということを考えると信長死後に結婚したのでしょうか?

【十女・月明院】徳大寺実久の正室。実久は1583年生まれなので信長死去後の結婚になりますね。ちなみに長男・公信は1606年に誕生しています。


■養女編
【遠山夫人(菊の方)】信長の姪。苗木遠山氏の遠山直廉と信長の妹の子。1565年頃、信長の養女として武田勝頼に嫁いでます。嫡男・信勝を生みますが、1571年頃死去。

【さごの方】播磨・龍野城主 赤松氏の娘。1575年頃、信長の養女として二条昭実の側室になっています。昭実は後に六女・三の丸殿とも結婚しており、関白職を秀吉に譲ったのも昭実。

【深光院】信長の兄・信広の娘。信長の養女として丹羽長秀の正室となっています。長秀の長男・長重は信長の実の娘を娶っており、信長がいかに丹羽家を大事に思っていたかうかがい知ることが出来ます。

※ウィキペディア参照。

※akaiosorani様からの情報で毛利家家臣・宍戸元続の正室が織田家の女性らしく一説に信長の娘とも伝わっているそうです。情報ありがとうございました!


久々の更新&長文で疲れましたが、最後まで読んでくださった皆様ありがとうございます。ではまた一カ月後に・・・?!